◇◆◇ 特集 ◇◆◇
ベルの音全国各地で 広がり深まり半世紀


記事目次


◆ トップ登録、今も活発に活動
高知県土佐清水市の清水小学校
◆ 送付第1号、統合後も熱心に
広島県呉市立明立小学校
◆ 47年目に専門部設け300万点達成
長崎県諫早市立御館山小学校
◆ 特別支援学級を核に活動再開
愛知県豊田市の朝日丘中学校
◆ 第1次へき地校援助校、収集や整理も
富山県南砺市利賀中学校協会
◆ 「助けたい」6年生8人が大活躍
山形市山形第四小学校
◆ 母校で相次ぎベルマーク委員長の大役
北海道新ひだか町山手小学校
◆ 予想以上のマーク集まり参加年にお買い物
滋賀県栗東市治田西幼稚園

 ベルマーク運動が始まって今年で49年。創設当時から参加し、今なお活動を続ける学校や、子どもが中心になり何十年ぶりかで活動を再開したり、参加した年に1年でお買い物までこぎつけたり・・・。全国各地を訪ねると、広がるベルマークの鐘の音と、学校や地域で深まる絆が改めて分かりました。

トップ登録、今も活発に活動

高知県土佐清水市の清水小学校

 ベルマーク運動に参加している学校のうち現在、最も登録の古いのが高知県土佐清水市の清水小学校(有田一三校長、435人)です。このことを同校がホームページで紹介すると、即座に県外の卒業生から便りが届くなど、時を越えたベルマークの輪が広がっています。 子どもたちが活躍。5、6年生の事業委員会メンバーがマークをきりそろえ、仕分けます
 現在、ベルマーク運動参加校(園)は約2万8500校ですが、運動が実質的に始まった1960年度は2263校。その中で一番早かった61年1月16日登録の清水小が、現在の参加校のトップ登録校ということにもなります。
 同小ベルマーク活動の特徴は、児童の事業委員会(5、6年生約20人)が毎月1回、委員会活動のときに、マークを切りそろえ、会社別に仕分けていることです。
 昨年11月に訪れたとき仕分け作業の最中でした。6年生から「多く集めるため表彰するようにしたら」と提案があり、話し合いの結果、今後毎月、学年ごとに表彰することになりました。購入品も児童の要望を聞いて決めており、学校側は子どもたちにいかにベルマークを意識付けするか、気を配っています。
 子どもたちの仕分け後を引き継ぐのはPTA事業部。学期に1回、夜7時半から集まり、仕分け整理し発送します。当面の課題は、仕分け作業への参加拡充と作業効率をあげることです。PTAも昨年から全体の体制替えをし、事業部は4年生の保護者全員が参加することになりました。一度は経験することによりベルマークへの理解が深まること期待しています。
 学校側は昨年11月13日付け学校便りで「何と、びっくり!清水小のベルマーク運動」と題し、ベルマーク参加登録第1号を紹介、当時の関係者探しを呼びかけました。ホームページにも載り、2日後の15日には同校卒業生で愛知県の高校教師から「始まったとき、5年生だったと思います。母が何らかの手伝いをしていたかもしれません」と便りが。有田校長も反響の早さに驚いていました。
 清水小のベルマーク収集点数は参加以来の累計で約362万点。年間収集が県内2番目になったこともあるなど伝統的に活発です。学校便りに、こう記しています。「登録で全国1番目、それから半世紀、よく続いてきたものだと思います。これからも400万点、500万点と到達していくでしょう」

《写真》子どもたちが活躍。5、6年生の事業委員会メンバーがマークをきりそろえ、仕分けます=高知県土佐清水市の清水小学校で


送付第1号、統合後も熱心に

広島県呉市立明立小学校

 48年前、ベルマーク回収第1号となった広島県呉市立上山田小学校、現在の明立小学校(工田隆校長、271人)は、今も熱心にベルマーク活動を続けています。当時の関係者の証言からベルマーク運動草創期の秘話も明らかに。学校、PTA側も伝統の継承を誓っていました。 ベルマークで買った冷水機で水を飲む子どもたち。PTA関係者が見守ります=広島県呉市の明立小学校で
 ベルマーク運動は全国から2263校が参加して1960年度に始まりました。61年5月に参加した上山田小は早くも9月30日、全国のトップを切って財団法人教育設備助成会(現ベルマーク教育助成財団)に、ベルマーク4090点を送ってきました。
 ベルマーク運動を推進したのが教師の尼子勝久さん(82)。
 「体育主任をしていてソフトボール、ドッジボールがすぐ破れたり無くなったりしても、予算がなくて買えませんでした。ベルマークのことを新聞で知り、やろう、となったのです」。回収箱作り、収集、整理と、最初は子どもだけで始めたそうです。
 「ドッチボール10個ほど買い、校長先生が見せると、子どもたちは大喜びでしたねえ。PTAも、あんな小さなものを集めると、こうなるんですかと驚き、乗り気になりました」。当時、学校周辺の道路がきれいになり話題に。子どもたちが「ベルマークがついているのでは」と道に捨ててあった箱などを拾い集めていたためです。「親も感心して、子どもたちだけに任しておけない、と」。 ベルマークの入った封筒を見ながら旧上山田小学校時代を語る尼子勝久さん=呉市内の自宅で
 尼子さんは定年退職して20年余、今もベルマークを集めています。「近くの学校に寄贈しています」
 明立小は2005年、上山田小と吾妻小が統合して発足、ベルマーク活動を引き継ぎました。クラスから1人選出のPTA施設委員会(11人)が担当です。
 毎月初めに児童からベルマークを回収、施設委員は自分のクラス分を自宅で仕分けし、年2、3回、最終集計し発送します。今年は7月にインクカートリッジ類7290点分を集計しました。
 明立小になって毎年度5万点前後の収集、上山田小時代を含め48年間の累計は約364万点になりました。最近の買い物では冷水機が好評です。
 熊谷純行PTA会長は「回収第1号とは驚きです。先哲のおかげで、(ベルマークは)今も子どもたちに喜ばれています」と話していました。

《写真上から》
・ベルマークで買った冷水機で水を飲む子どもたち。PTA関係者が見守ります=広島県呉市の明立小学校で
・ベルマークの入った封筒を見ながら旧上山田小学校時代を語る尼子勝久さん=呉市内の自宅で


47年目に専門部設け300万点達成

長崎県諫早市立御館山小学校

 ベルマーク運動がスタートした1960年度に参加した“1期生”で、いまも活動を続けている学校のひとつが長崎県諫早市立御館山(みたちやま)小学校(中野良子校長、478人)です。PTAは、活動をさらに盛り上げようと、2008年春にベルマーク部を新設、部として初めて取り組んだマーク回収、仕分け・集計、発送作業で、12月に累計点数300万点を達成しました。 活動の打ち合わせをするベルマーク部役員とPTA副会長のみなさん
 07年度までの御館山小では、ベルマーク活動はPTA全体の取り組みでした。保護者は「1人1役」で、PTAの4事業部のいずれかに所属し、各事業部が回り持ちで担当する仕分け・集計作業の1回に参加していました。
 参加47年目に新設されたベルマーク部は、鶴田ひとみ部長、佐倉智恵美副部長ら43人。PTA執行部の三宅静香さんら3人の副会長も担当します。仕分け・集計作業は大きく変わりました。子どもたちが学校に持ち寄ったマークは、学年やクラスごとに割り振り、部員が自宅で仕分け・集計します。これを役員10人が学期ごとに全体集計し、発送する仕組みです。仕事の都合や小さな子どもの世話などで、学校に集まりにくいお母さんたちには、自宅で作業できるベルマーク部の仕事は魅力的で、部員集めに苦労はなかったそうです。 2002年に新築された校舎は中央に時計台があるユニークな3階建て
 ベルマーク部の目標は年間点数10万点。ここ数年は5万1000〜6万1000点でしたが、一昨年から校区の公民館、スーパー、郵便局など8カ所に回収箱を置かせてもらい、地域の協力が広がっていることや、なにより専任のベルマーク部が生まれたことで「達成したいし、達成できるのでは」と、鶴田部長らは期待しています。
 御館山小は、JR諫早駅から約1キロの高台の住宅地にあります。02年に新築された校舎は、緑の屋根の時計台が突き出した3階建てのユニークな建物です。体が不自由な子どもたちが学んでいる、近くの県立諫早養護学校小学部と交流を続けています。毎学期ごとに、お互いに学校を訪問して、施設見学やゲームを楽しんだりするそうです。
 御館山小は1955年に開校、創立50周年には記念事業のひとつとして、ベルマーク預金でテントを購入しました。ベルマーク運動50周年の来年、2010年には、学校も55周年を迎えます。記念になる備品が購入できればいいですね。

《写真上から》
・活動の打ち合わせをするベルマーク部役員とPTA副会長のみなさん
・2002年に新築された校舎は中央に時計台があるユニークな3階建て =いずれも長崎県諫早市の御館山小学校で


特別支援学級を核に活動再開

愛知県豊田市の朝日丘中学校

 車の町、愛知県豊田市の朝日丘中学校(神ア恭紀校長、713人)が、13年ぶりにベルマーク活動を再開させました。中心になっているのは特別支援学級の生徒たち。生徒会福祉委員会(各クラス2人、計40人)の協力を受けながら、収集の呼びかけ、回収したベルマークの仕分け、集計、ベルマーク便りの発行などに取り組んでいます。 全生徒のベルマーク袋に感謝のメッセージを書く、ベルマークを切りそろえる、同じ番号・点数をまとめる、集計する……それぞれ得意の作業を分担しています
 同中がベルマーク運動に参加したのは1966年12月ですが、活動は断続的で、94年5月の送票を最後に活動休止の状態が続いていました。それまでに送票した点数の累計は約17万点。お買い物は一度もしておらず、2007年1月に現金15万余円を足してスポットライトを2セット購入したのが最初で最後でした。この時点で、ベルマーク預金の残高はゼロになりました。
 このままベルマーク運動から撤退してもおかしくない状況の中で「ベルマークを授業で生かせないか」と考えたのが、同年4月から特別支援学級の担当になった宮部誠先生でした。切りそろえ、仕分け、集計、ベルマーク便り作成……ベルマークにはさまざまな作業がありますが、障がいのある生徒たちがそれぞれの得意を生かして分担すれば、こなすことができます。しかも生徒会との連携で、ベルマークを特別支援学級と通常学級の架け橋に位置づけることができ、教材などを購入すれば教育環境の向上に役立ちます。 コンクールで佳作に選ばれた「ベルマーク便り」は宮部先生が書いた原稿を、鈴木健矢君がパソコンで打ち込んでいます
 年度初めから下調べをしたり、生徒たちと相談したりして準備を進め、実際に活動を始めたのは昨年11月でした。まず「朝中ベルマーク便り」第1号を発行、全校にベルマーク活動再開を知らせて協力を呼びかけました。宮部先生は、以前勤務していた学校でベルマークにかかわっていたことがあり、その経験を生かしました。
 「便り」は、07年度が08年3月まで4号、08年度は4月から11月までに7号出しました。宮部先生が原稿を書き、パソコンが得意な鈴木健矢君が文字を入力。毎号、写真や図表を駆使してきれいに仕上げています。例えば11月の第7号は、秋のベルマーク大作戦の回収結果を特集。提出してくれた人が全生徒の64%(457人)だったことや、提出枚数が上位のクラス、個人を紹介しました。また、今年度のお買い物の目標が「各教室に電波時計」に決まったことを知らせています。宮部先生は、この「便り」を今年度のベルマーク便りコンクールに応募し、みごと佳作に選ばれました。 特別支援学級の教室にはベルマーク整理箱が置いてあります。全生徒から回収したベルマーク袋を見ているのは宮部先生
 ベルマークは、特別支援学級の生徒たちが作った個々人用のベルマーク袋に入れて提出してもらい、福祉委員会の生徒たちが集めます。空でも回収します。特別支援学級では、届けられた袋に入っているベルマークの枚数を数え、「○枚ありました。ありがとうございました」「次はよろしくお願いします」などとメッセージを書いて返します。メッセージを書く人、番号ごと、点数別に分ける人、電卓で集計する人、「便り」を打ち込む人など、それぞれ役割が決まっています。
 回収では地域との連携も重視し、学区の交流館(公民館)にも回収箱を置かせてもらっています。
 07年度の収集は1〜3月の3カ月だけでしたが、計約2万4000点集まりました。08年度の目標は10万点ですが、回収ごとに集まる枚数が増えており、生徒たちは確かな手ごたえを感じています。
 宮部先生は「ベルマークは格好の教材。長く続けたいと思います」と話していました。

《写真上から》
・全生徒のベルマーク袋に感謝のメッセージを書く、ベルマークを切りそろえる、同じ番号・点数をまとめる、集計する……それぞれ得意の作業を分担しています
・コンクールで佳作に選ばれた「ベルマーク便り」は宮部先生が書いた原稿を、鈴木健矢君がパソコンで打ち込んでいます
・特別支援学級の教室にはベルマーク整理箱が置いてあります。全生徒から回収したベルマーク袋を見ているのは宮部先生=いずれも愛知県豊田市の朝日丘中学校で


第1次へき地校援助校、収集や整理も

富山県南砺市利賀中学校

 ベルマーク運動の大きな柱であるへき地学校援助が初めて実施されたのは、ベルマーク教育助成財団(当時は教育設備助成会)の設立から2年半後の1963(昭和38)年でした。「三八豪雪」で知られる大雪の被害を受けた東北、北陸などのへき地校19校に、テレビやトランシーバー、給水設備、8ミリ撮影機などが贈られました。 94年に贈られたテレビは、今も国語教室で使われています。右は高田校長 その中から、援助を受けるだけでなく自らもベルマークを集めて援助の役に立ちたいと活動している富山県南砺市利賀村の利賀中学校(高田博之校長、25人)を訪ねました。
 63年に同中に贈られたのはテレビ受像機とアンテナ施設でした。高田校長は67年に同中を卒業したOBで、今年度、41年ぶりに母校に戻りました。当時のテレビは、とっくに廃棄処分されてしまっていましたが、「中学時代には、きっと見ていたでしょうね」と懐かしそうでした。 01年に贈られたバスケットボールは利賀小の子どもたちも使っています
 ベルマークから同中への援助は、その後も何回かあり、94年には大画面テレビ、01年にはビデオデッキ3台、ラジカセ2台、バスケットボール16個などが贈られています。現在、大画面テレビは国語教室、ビデオデッキは美術・技術科教室などに置かれ、ラジカセとボール類は、併設の利賀小学校の子どもたちと一緒に体育館で使っています。
 へき地校は生徒数が少なく、どうしても援助を受けるだけになりがちですが、同中はベルマーク集めにも力を入れています。生徒会が中心になって少ないながら地道に集め、整理しています。運動に加わったのは65年で、これまでに累計で22万余点を送票しています。残高が2万点弱で、手元に送っていないマークが8千点近くあるので、次の目標は3万点ほどで買える車いす。購入して、地域の施設などにプレゼントしたいと考えています。 生徒数は少なくても、ベルマークで車いすを贈ろうと活動しています。右は野原浩昭教頭
 多いとき300人近かった生徒数は65年ごろから減少の一途をたどり、85年以降は40人弱、最近は20人台前半で推移しています。それでも最近は福岡や埼玉、静岡、大阪など都会から家族で移住してくるケースがあり、なんとか減少に歯止めがかかっています。
 少ない生徒数を考え、部活はバドミントン部しかありません。一点集中方式で、男子は5年連続、女子は3年連続で県中学校選手権に進んでいます。06年には男子が北信越大会に行き、ベスト8の成績を収めました。また県内の85中学校が参加する駅伝大会で、女子が07年9位、08年14位と健闘しています。 恵まれた環境の中で、生徒たちは生き生きと過ごしています
 旧利賀村は古くからソバの里として知られ、近年は82年に始まった世界演劇祭の舞台として有名になりました。04年に南砺市に合併する際、大字の前に「利賀村」の地名をつけるのを条件とするなど、住民の地域に寄せる思いには強いものがあります。
 教育(人づくり)にも力を注いでおり、98年に小中学校、公民館を一体とした複合教育施設を完成させました。91年からは2年に1回、同中の2、3年生がギリシャ・デルフィー市を親善訪問しています。世界演劇祭を始めた演出家の鈴木忠志さんが、デルフィー市にある野外劇場を模した劇場を利賀村に建てたのが縁で、同市からも2回、訪問団がやってきました。

《写真上から》
・94年に贈られたテレビは、今も国語教室で使われています。右は高田校長
・01年に贈られたバスケットボールは利賀小の子どもたちも使っています
・生徒数は少なくても、ベルマークで車いすを贈ろうと活動しています。右は野原浩昭教頭
・恵まれた環境の中で、生徒たちは生き生きと過ごしています=いずれも富山県南砺市の利賀中学校で


「助けたい」6年生8人が活躍

山形市山形第四小学校
 山形市立山形第四小学校(鈴木弘康校長、226人)では、2007年度、当時の6年生8人、名付けて「ベルマーク集め隊」が、ベルマーク運動を30年ぶりに再開しました。総合的な学習「カンボジアを助けたい」プロジェクトの中で、ベルマーク収集に取り組み1万点以上を集め、購入まで1年間でやりとげました。 先輩たちが集めたベルマークで買ったソフトバレーボールは今でも活躍しています。右端は吉田先生
 同小では、年間110時間ある総合的な学習の時間を使い、子どもたち自身が「自分たちが目指すもの」や「挑戦したいこと」などを話し合って、学年ごとに活動テーマを決めています。
 07年度の6年生は、「みんなが仲良く協力、団結でき、楽しめるもの、心に残るもの」をテーマに進めていく中で、「カンボジアを救いたい、何か出来ることは…」という思いが大きくなり、プロジェクトが始まりました。その後、ユニセフの活動やカンボジアで生活した中学生の体験談を聞いたり、地雷で手足を失っている子供が多い、という悲惨な状況を知ったりして募金を集めることにしました。
 「100円で1uの地雷原を安全にできる、16円でワクチン1回分が買える、116円で3人分の文房具が買える」。2クラス43人の子どもたちは、「アルミ缶集め」など、4グループに分かれて活動しました。 ベルマークを仕分ける細かい作業は、みんなが頭をくってつける様にして、苦心しながら助け合う様子がうかがえます
 同小のベルマーク運動は、1962年7月に参加し、78年まで約40万円のお買い物をするほどでしたが、以来お休み状態でした。
 「ベルマーク集め隊」の活動は、ベルマーク手帳を読み、財団ホームページで調べることから始まりました。そこで、お買い物するには2月までに預金にすることが条件と分かり、逆算しての作業予定を詳細にたてました。全校生徒にお便りを発行して収集のお願い、ローカルラジオでも地域の人々へ協力を呼びかけました。校内では、出入り口などに牛乳パックを利用した箱を置き、回収に努めます。地域の文房具店やコンビニ、マンションなどに収集箱を設置することまでしました。
 昨年度、学年主任だった吉田健志先生は「整理作業は、相当苦労していました」と話します。当時の写真からは、お買い物ガイドを調べたり、多目的教室で児童が頭を寄せ合いながら、ベルマークを仕分けている様子が伺えます。無効なマークが多くあり、集めた点数が大分減ってしまったそうです。 集めた点数をフルに役立てるため、お買い物ガイドを綿密に調べます。各学年が喜んでくれる備品を選びました
 さらに、お買い物の品物を学校から買い取ってもらい、援助資金にする交渉もしました。お買い物ガイドの中から、金額を計算しながら購入品を選び、今回のベルマークの点数とこれまでの預金残高を合計すると、「ソフトバレーボール14個とカラー玉3個」を買うことができ、合計は1万5225円でした。各グループの活動で集まった援助資金は、17万円以上にもなりユニセフを通して、3団体に寄付しました。  「みんなで協力すればたくさんの人を助けられることや、お金を集めることの大変さを知ったりすることができました」。協力した皆さんへ宛てたお礼のプリントには、寄付した内訳と同時にこう書いてありました。
 吉田先生は、「ベルマーク運動は今後も福祉活動に生かすことができ、総合的な活動でも取り組み可能なことを伝えて行きたい」と話していました。

《写真上から》
・先輩たちが集めたベルマークで買ったソフトバレーボールは今でも活躍しています。右端は吉田先生
・ベルマークを仕分ける細かい作業は、みんなが頭をくってつける様にして、苦心しながら助け合う様子がうかがえます(山形第四小提供)
・集めた点数をフルに役立てるため、お買い物ガイドを綿密に調べます。各学年が喜んでくれる備品を選びました(同小提供)=いずれも山形市山形第四小学校で


母校で相次ぎベルマーク委員長の大役

北海道新ひだか町山手小学校

 北海道新ひだか町の山手小学校(中舘吉達校長、207人)は、学校創立の2年後にベルマーク運動に参加して28年。開校した年、ピカピカの1年生だった2人が、今は母親として相次いでベルマーク委員長を務め、2世代にわたる長い活動をしっかりと受け継いでいます。 ベルマークだよりや送り状のファイル、過去の活動記録が1カ所に収められ、「いつでも見て参考にできる」と話す後藤裕貴さん(左)と駒沢聖子さん
 2006年度と07年度は後藤裕貴さん、08年度は駒沢聖子さんが委員長です。小学生の頃マークを持って登校したことを覚えているという2人は、卒業後ベルマークと疎遠に。それが6年前、子供同士が同い年でこの学校に入学し、再び身近になりました。入学式で十数年ぶりに顔を合わせて交わしたのは、「ベルマーク、まだ続いているね」という驚きの言葉でした。
 開校当時は体育館もグランドピアノも校歌もなく、入学式は近くの町の文化センターで、「手のひらを太陽に」を校歌代わりに歌った、と振り返る2人。「グランドピアノが欲しい」と、当時のPTAがベルマーク運動に参加したのは、切実な思いからでした。その後、グランドピアノは学校予算で備えられましたが、大きな目標を持って始まったベルマーク活動は、地域にも協力の輪を広げ、PTAの主要な取り組みとして定着しました。  今年度のベルマーク委員は10人。マークはたくさん集まって、毎月整理しますが追いつかず、もっと人手が欲しいところですが、27年前のピーク時には757人いた児童は約4分の1に、働く母親も増えて思うようにメンバーを増やせないのが現状です。後藤さんは、楽しく活動することをモットーに、無理せず、できる範囲でマークを整理することにしました。「疲れてきたら作業は終了。楽しくやれば余裕も生まれます」と後藤さん。
 その雰囲気に有志のお母さんたちも気軽に手伝ってくれます。幼児連れでも、わずかな時間でも参加できることが好評で、毎回数人のボランティアが応援してくれます。様子が分かるこの学校に、自分の子供も通わせたくて校区に引っ越してきたという駒沢さんは、仕事を持ちながらの大役にも、「活動スタイルができているので取り組みやすい」と話します。ほぼ毎月発行するベルマークだよりは、財団が行っている「ベルマーク便りコンクール」で、一昨年と昨年は佳作に、今年は見事、入選に選ばれました。低迷するPTA活動の中で、ベルマーク活動は、学年を越えた楽しい交流の場として盛り上がっています。
 作業する部屋の棚の上には、使い込まれた番号別の容器が並び、先輩委員たちが書きとめた活動記録もすぐ手にとって見られるように配置され、代々のPTAが熱心に取り組んできたことが分かります。ポスターを作って役場や公民館などに張り地域に協力を呼びかけることも恒例。職員室にはマークやカートリッジの回収箱が置かれ、委員会顧問の水澤之宏先生の机の上には刷り上ったばかりのベルマークだよりが積んであり、先生たちの力強いサポートぶりも伺えます。
 これまでに244万点あまりのマークを集め、870冊に及ぶ図書と、テント2張りを購入しました。「お陰さまで、運動会では児童全員がテントに入れます。図書も充実しベルマーク文庫を設けています。せっかく取り組んでいただくのですから、活動しやすいように学校側もサポートしていきたい」と大橋勝教頭。後藤さんと駒沢さんは「雰囲気作りは委員長の大切な仕事です。目標を持てば、もっと張り合いを持って活動できるはずです」と笑顔で話していました。

《写真》 活動をしっかり受け継いだ後藤さん(左)と駒沢さん。棚には、ベルマークだよりや過去の活動記録が並んでいます =北海道新ひだか町の山手小学校で


予想以上のマーク集まり参加年にお買い物

滋賀県栗東市治田西幼稚園

 2008年に参加しその年の内に買い物をしたのが滋賀県栗東市立治田西幼稚園(奥村まゆみ園長、250人)です。初参加ながら予想以上にマークが集まり、保護者らは購入のドッチボールで遊ぶ園児らを見て「ベルマークをやって良かった」と喜んでいました。ベルマーク預金で買ったドッジボールで遊ぶ園児ら
 ベルマーク参加登録は08年5月。PTA環境班(8人)が「何か新しい取り組みを」と考えたときに浮かんだのが、子どものころからなじんでいたベルマークでした。
 クラスに回収箱を置き、保護者に呼びかけ、早めの7月に集計した結果、5930点に。1000点くらいか、との予想をはるかに超える点数でした。王子製紙のネピアなど脱退企業のベルマークも多く集まっていることなどから「日ごろから貯めている人が多いことがわかりました」とPTA役員。近辺ではベルマークに取り組んでいる学校(園)が少ないこともあって、貯蔵マークの持っていき場がなかったのではないか、と見ています。
 初の買い物はドッチボール6個。5月参加、7月集計、9月末には購入品注文とハイペースな活動ぶり。運動の成果を早く示したい、年長組が卒園するまでに使ってもらいたい、との願いからです。
 昨年11月、バザーの準備に集まったお母さんたちは「(ベルマークの仕分けが)大変でしたが、購入品で遊ぶ子どもたちの姿を見ていると、良かったなあ、と思います」と話していました。

《写真》 ベルマーク預金で買ったドッジボールで遊ぶ園児ら=滋賀県栗東市の治田西幼稚園で
(2009/1/27)