◇◆◇ 特集 ◇◆◇
支えられ、助け合ってベルマーク運動半世紀
50周年特集


記事目次


◆ 運動と共に息長く支援
キユーピー株式会社
◆ 雪国の子どもに励まし
石川県白山市立白峰小学校
◆ PTAと子どもが主役
京都市立伏見南浜小と福島県郡山市郡山一中
◆ 全国からの援助ありがとう
新潟県長岡市立山古志小学校、中学校
◆ 「特注シャツ」で元気に
熊本大学のサークル「Plus chain」
◆ 新しい回収方式が定着
エプソン販売、キヤノンマーケティングジャパン
◆ 運動の歩み
 1960年にスタートしたベルマーク運動は10月で50年を迎えます。参加団体約2万8400、人数は1000万人を超える巨大なネットワークになり、支援活動はへき地学校だけでなく、被災校や特別支援学校、開発途上国の子どもたちまで広がっています。環境保護の機能も加わりました。運動がここまで大きな輪になった原動力は、PTAなど参加団体の地道な活動と、商品にベルマークを付けている協賛会社、貯めた預金で買う商品を取り扱っている協力会社の支援です。次の半世紀へと動き出すベルマーク運動を、節目となった出来事を通して紹介します(データは2009年12月現在)。


運動と共に息長く支援

キユーピー株式会社

 1973(昭和48)年2月、協賛会社がベルマーク点数に応じて負担する市場調査費累計で4社が初めて1億円を超え、教育設備助成会(現在のベルマーク教育助成財団)から表彰されました。その中で現在も協賛会社である唯一の会社がキユーピー株式会社です。同社は、教育設備助成会結成の際、1社30万円ずつの寄付に応じた40社の中の1社で、最初の協賛会社41社にも参加しました。
 同社は、社会貢献や食育、環境に幅広く取り組んでいますが、その代表ともいえるのがオープンキッチンと呼ばれる工場見学です。社会見学という言葉がまだ珍しかった61年、スタートし、現在では全国6工場で年間10万人を超え、夏休みには小学生からの申し込みが殺到し、すぐ定員になることもあるほど。東京都調布市にある仙川工場を見学したいという小学校の希望があり、企業秘密が漏れないかを心配する声もありましたが、創始者中島薫一郎(とういちろう)さんが「消費者に見てもらう意味の方が大きい」として決めたといいます。
 またメディアライブラリーは75年からスタートし、食などに関するビデオ、DVDを作り学校や消費生活センターなどに無償で提供しています。食に直接結びつくものだけではなく、子育てに悩む母親5人を取り上げ、本音を語ってもらったり、高齢者を励ましたりと、幅広いテーマを取り上げていることが特徴です。毎年制作し続け、合計1万本を超えるシリーズもあります。
 社会貢献活動の中で同社がトップに位置づけるのがベルマーク運動です。広報室部長堀池俊介さんは、全国から送られたキユーピーのベルマーク=東京・銀座のベルマーク財団で多くの方に役立ち、息長く継続できる。また全国のPTAの方々の地道な努力の積み重ねで続いていることが、キユーピーの方針とピタリ合う、と説明します。 島家時常務取締役広報室長は次のようなコメントを寄せています。「現在の教育設備の基盤形成はベルマーク教育助成財団の半世紀にも及ぶ教育支援活動の賜物であり、弊社も微力ながら創設当初からお手伝いできたことに感謝申し上げます。今後のベルマーク運動と財団のさらなる発展をお祈り致します」
 キユーピーが現在、ベルマークを付けている商品は、業務用も含めてマヨネーズとドレッシングの101品目。負担する市場調査費累計は40億円に迫っています。

《写真》全国から送られたキユーピーのベルマーク=東京・銀座のベルマーク財団で

メモ
 ベルマーク運動が発足した1960(昭和35)年度の協賛会社は41社。その後、参加と脱退があり、現在は63社。最初の41社の内、現在も参加しているのはキユーピーと、アサヒ飲料(当時は朝日麦酒)、エスビー食品、日本水産、明治製菓、森永製菓、森永乳業、ヤマハ(日本楽器製造)、味の素、日清食品、日清フーズの11社です。
 一方、参加団体が預金で購入する教育設備品を扱う協力会社はスタート時17社でしたが、現在は19社が参加しています。


雪国の子どもに励まし

石川県白山市立白峰小学校

 富士山、立山と並んで古くから信仰の対象としてあがめられてきた霊峰白山のふもとに、石川県白山市立白峰小学校(本江正芳校長、45人)があります。47年前の1963(昭和冬支度で校庭の周りのネットを片付ける子どもたち38)年にベルマークが実施した第1次へき地校援助を受けた学校の中の1校です。師走を前に、子どもたちの笑顔に会いに行きました。
 山奥にも新型インフルエンザが迫っていて、訪問した日は3・4年の複式学級が学級閉鎖になっていました。それでも他の子どもたちは元気で、グラウンドで5、6年生が先生と一緒に校庭周りのネットを取り外し、支柱を抜いて片付けていました。冬支度です。
 鉄棒は棒を外し、サッカーゴールはネットを外して本体を屋内に取り込みます。雲梯(うんてい)は下に当て木を添え、校舎の1階部分を板で囲います。放っておくと雪の重みで支柱や鉄棒が曲がり、窓ガラスが割れてしまうためで、春先の雪囲い外しとともに雪国ならではの年中行事となっています。
 白峰地区(旧白峰村)は全国有数の豪雪地帯です。4・2メートルの最深積雪を記録した63年の「三八豪雪」では、約2カ月間にわたって交通が途絶し、陸の孤島となりました。81(昭和56)年には4・8メートル、最近は暖冬で雪が少ないとはいえ2006(平成18)年に3・38メートルを記録しています。
過去の援助備品には金管バンドの楽器もありました
 第1次へき地校援助は「三八豪雪」の被害を受けた東北、北陸など雪国の19校に行われ、白峰小にはテレビとアンテナが届きました。同小にはその後も何度か援助があり、最近では92(平成4)年に一輪車、00(平成12)年に金管楽器のコルネット2本と一輪車7台、一輪車収納台などが贈られています。音楽室で金管バンドの練習風景を、校庭では低学年の子が一輪車に乗って見せてくれました。
 ベルマークの誕生は、朝日新聞社に寄せられた「へき地の子どもたちの教育設備充実」を求める陳情がきっかけでした。へき地校援助こそがベルマークの原点です。47年間に、延べ3万3500校を超えるへき地校に援助を届け、やがて対象を養護学校、盲学校、聾学校、地震などの被災校、発展途上国にも広げました。09年度までの援助額は、累計で約39億円にのぼっています。
一輪車と収納台も贈られたことがあります=いずれも石川県白山市の白峰小学校で へき地校は人口減や学校の統廃合などで年々減少し、第1次援助を受けた19校の中で現存するのは7校にすぎません。それでも、富山県南砺市利賀村の利賀中学校は、援助を受けるだけでなく自らもベルマークを集めて援助の役に立ちたいと、生徒会が中心になって少ないながら地道に整理を続けています。65年に運動に加わってから、これまでに累計で22万余点を送っています。
 一方、07年に援助を受けた三重県立杉の子特別支援学校(鈴鹿市)は08年10月にベルマーク運動に加盟し、初年度に県内1位、全国11位の25万9053点を送票しました。08年に開校したばかりの岐阜県立岐阜本巣特別支援学校は同年5月、海津特別支援学校は翌09年6月に、援助を受けるだけでなく自分たちの力で設備を充実させ、援助の力にもなりたいと運動の輪に加わっています。

《写真上から》
・冬支度で校庭の周りのネットを片付ける子どもたち
・過去の援助備品には金管バンドの楽器もありました
・一輪車と収納台も贈られたことがあります=いずれも石川県白山市の白峰小学校で


PTAと子どもが主役

京都市立伏見南浜小と福島県郡山市郡山一中

 ベルマーク運動の主役は今も昔も学校です。09年10月、ベルマーク収集点数が累計で1200万点(小学校で全国4位)に達した京都市立伏見南浜小学校と、1700万点と中学校で全国一の福島県郡山第一中の活動を紹介します。
ベルマークの仕分けに忙しいPTAの皆さん=京都市伏見区の伏見南浜小学校で
 伏見南浜小(杉田明生校長、599人)ではPTA財務委員会(木村加代、小越由枝両委員長ら19人)が中心です。学期に1回、児童がベルマークを持ち寄ります。クラスの財務委員がクラス分を自宅で企業別、点数別に仕分け、10枚ごと半紙に1列に張ります。半紙1枚に5列までです。
 集計は収集を終えて2、3週間後。09年11月13日夜、財務委員らが仕分けたベルマークを持ち寄り、おしゃべりを楽しみながら集計作業をしました。男性の姿もありました。
 「ベルCHAN」「マークKUN」という双子のオリジナルキャラクターをつくるなど同校のベルマーク活動は今年、活発化しています。「(PTA活動も)ここ最近、知らない間にやっている状況なので、表に出すよう心がけている」(PTA役員)そうです。
 08年にベルマーク預金不足で購入したいものが買えず悔しい思いをしたことで、何とかベルマークを沢山集めたい気運が強まっていました。その中で運動に参加した1964年からの累計で1200万点達成の朗報、財務委員らは「わぁ、すごい!」と、ベルマーク熱が一気に盛り上がりました。
 同小はベルマーク運動に参加して19年目の83年に500万点を達成。さらに94年には1000万点と倍増させ、11年間で年平均45万点という驚くべき収集実績をあげました。
 当時の児童数が、多かった1985年で1,000人ほど。児童数の多さだけでは説明できないハイペースです。「校区内に大きな商店街をかかえ、当時、PTA活動も大変盛んだったのではないでしょうか」という声も聞かれました。ちなみに現在では年45万点以上は全国で3校(08年度)です。
 郡山第一中(村越秀樹校長)といえば、ベルマーク運動では良く知られた存在です。累計点数が、中学校では全国2位の魚崎中(神戸市)の1066万点を大きく引き離す「収集力」もそうですが、生徒会が自分たちで活動し、点字翻訳機を市に贈呈するなど地域に貢献したり地震などの被災校に緊急友愛援助をしたりと、預金の使い方でもお手本的な学校になっています。
 今年3月には、加湿器38台を100万円余かけて購入しました。05年に友愛援助で10万円を使って以来のお買い物でした。創立60周年記念事業の一環として、インフルエンザ予防には湿度が高い方が良いということで全教室に設置しました。現在は新たな購入目標はないそうですが、地域の人たちの応援も受けながら、伝統の活動は先輩から後輩へと受け継がれながら続いています。

《写真》ベルマークの仕分けに忙しいPTAの皆さん=京都市伏見区の伏見南浜小学校で


全国からの援助ありがとう

新潟県長岡市立山古志小学校、中学校

 「ベルマークからの援助は、天から降ってきたようなすばらしい贈り物です」。2004年10月23日の新潟県中越地震で被災した魚沼市の教育長はこう話しました。被災から5年、大きな被害を受けた長岡市立山古志小学校、中学校の子どもたちは、のびのびと勉強、スポーツに励んでいました。
下校時間の子どもたちからは笑顔が絶えません
 地震による避難、間借り生活を乗り越え06年10月に、山古志での学校再開を機に、小学生39人、中学校34人が、木材をふんだんに使った同じ校舎で勉強しています。運動会や文化祭などの行事は合同、職員室も一緒です。子どもたちは、田んぼを借りて米作りを体験したり(5年生)、錦鯉の飼育(中学生)をするなど、元気いっぱいです。
 山古志に戻った人は約3分の2、子どものいない地区も目立ち、小学校の児童は9年前の84人から半分以下に減りました。玄関にある大きな水槽では中学生が錦鯉の世話をしています地滑り防止柵や、新しいトンネル作りなど、土木工事が目立ち、埋もれた家の2階や屋根がのぞいているところも残っています。
 中学校では、地震をきっかけに、各学年で防災マップ作りや復興のために住民インタビューをしました。大きな災害を体験し励ましてくれた神戸市の白川台中学校や、三宅島の三宅中学校との交流も続いており、09年8月には2年生が三宅島を訪れました。小学校でも6年生が地震についても学習し、08年には東京で開かれた国際防災フォーラムにも参加しました。
 中学校はベルマーク運動に参加しており、生徒のボランティア委員会メンバー6人が地域清掃などの傍ら、寄贈されたベルマークの整理をしていますが、この2年で2回送票しており、活動が少し活発になってきています。預金を貯めて、役立つ物を買いたい、と委員長の五十嵐美帆さんは意欲的でした。
学校入り口にある「ありがとう」の歌碑=いずれも新潟県長岡市の山古志小、中学校で 「ベルマーク運動からは体育館用のヒーターなどたくさんの支援を頂きました。大変役立っており、支援を頂いた全国の学校、PTAの皆さんに感謝しています」。小学校の近藤蘭子校長も中学校の太平敏夫校長も口をそろえていました。
 「なにかお礼をしたいけど こころをこめて ありがとう」。10月23日、長岡市山古志支所で開かれた被災5年の合同追悼式では、励ましへのお礼と、復興への誓いを込めた、山古志小学校、中学校の子どもたちの「ありがとう」の歌声が響きました。


《写真上から》
・下校時間の子どもたちからは笑顔が絶えません
・玄関にある大きな水槽では中学生が錦鯉の世話をしています
・学校入り口にある「ありがとう」の歌碑=いずれも新潟県長岡市の山古志小、中学校で


メモ
 ベルマーク運動の被災校支援は1983年10月の三宅島噴火がスタート。雲仙普賢岳噴火(92年)、北海道南西沖(奥尻島)地震(93年)、阪神・淡路大地震(95年)、新潟県中越地震、福岡県西方沖地震(2004年)、能登半島地震、新潟県中越沖地震(07年)、岩手・宮城岩手内陸地震(08年)と行われています。阪神・淡路大地震神戸の大震災への援助は3年続き総額1億円を超します。
 新潟県中越地震へは第1次、第2次で延べ298校に計6200万円相当を援助、山古志小、中学校には06年10月30日の学校再開時にも激励援助としてそれぞれ約50万円相当を贈っています。


「特注シャツ」で元気に

熊本大学のサークル「Plus chain」

 ベルマーク運動の新しい動きの一つは、2006年から大学・公民館が参加できるようになったことです。09年7月に参加した熊本大学(7学部約8000人)は、九州7県で取り講義棟に設置しているベルマーク回収箱とポスター。右は部長の池田沙紀さん組んでいる8大学の中で、もっとも新しい加入校です。
 活動の中心は、教育学部小学校教員養成課程の2年生サークル、Plus chain(プラス チェイン)で、メンバーは部長の池田沙紀さんら18人。1年生の講義で、少年少女の非行や薬物依存症の根絶を目指す「夜回り先生」水谷修さんに感銘を受け、09年春、ボランティアに関心を持つ仲間が集まり、サークルを立ち上げました。「Plus chain」には、「負の連鎖」を絶ち切る「正の連鎖」の意味を込めたといいます。
 09年6月に熊本市で開催されたベルマーク運動説明会に池田さんと金田暁さん、太田嗣蔵さんが参加、「常時、継続して取り組めるボランティア活動は、ベルマークがぴったり」と、加入を決めました。
一覧表を手元にベルマークの仕分け
 サークルの全体会は毎週月曜日午前中。部室がなく、講義棟2階の空き教室を使います。最初のテーマは毎回、回収したベルマークの整理・仕分け。講義棟の1〜3階と、近くのスーパーに協力を呼びかけるポスターと回収箱を置いていて、1週間に1000点前後は集まるそうです。
 09年末の全体会は10人が集まりました。全員が紫紺の半そでポロシャツ姿です。背中に「Please Bellmark! by Plus chain」の文字と独自キャラク特注ユニホームで協力を呼びかけます=いずれも熊本市の熊本大学教育学部でターのベルマークマン、胸にはベルちゃんが描かれています。1着3000円で特注した活動PR用のユニホームです。
 ベルマーク回収と並行して、いま進めているのは市内の病院内学級で学んでいる小学生の慰問です。ベルマーク財団が09年秋に教育備品を贈った熊大医学部付属病院の慶徳小学校院内学級のことを財団ホームページで知り、1月18日に訪れ、紙芝居付きの劇「桃たろう」を披露する予定です。年明けのセンター試験期間中の休みを利用して、練習を重ね、舞台装置や小道具を完成させるそうです。
 池田さんは「ボランティア活動で訪れた小学校などに、ベルマークや購入品を贈ることを目標に、取り組んでいきたい」と話しています。

《写真上から》
・講義棟に設置しているベルマーク回収箱とポスター。右は部長の池田沙紀さん
・一覧表を手元にベルマークの仕分け
・特注ユニホームで協力を呼びかけます=いずれも熊本市の熊本大学教育学部で


メモ
 大学参加は49校、公民館は58。北海道大学や南山短期大学(名古屋)が購入した学用品を中高校やフィリピンの子どもに贈呈。公民館では千葉県匝差市八日市場公民館、愛知県常滑市鬼崎公民館がお買い物をしています。


新しい回収方式が定着

エプソン販売、キヤノンマーケティングジャパン
 「使用済みカートリッジ」の回収は、21世紀のベルマーク運動の大変革になりました。協賛会社エプソン販売、キヤノンマーケティングジャパンの2社で、いま延べ2万5000をインクカートリッジ638個で作った巨大なベルマークの飾りを展示=大阪市のおおさかATCグリーンエコプラザで超える学校・団体が登録、集票の大きな柱に育つ一方で、運動に「環境保護」という新たな役割を持たせました。
 きっかけは、エプソン販売の消耗品事業担当・鈴木衛さん(現広報・宣伝部課長)のひらめきでした。カートリッジ回収は1999年から始めましたが、回収は頭打ち状態に。2003年、「上げる方法はないか」の検討が始まりました。駅や学校など人が集まる場所での回収策や「ポイント制度は」などアイデアが出されました。しかし自前でやると宣伝費などの費用もかかる。鈴木さんの頭に浮かんだのが、子供の時に集めたベルマークでした。
 とはいえ、ベルマークはパッケージなどから切り取るイメージしかない。最初からカートリッジにつけたのでは回収につながらない。「無理だろう」の声が大半。だが、鈴木さんは「ダメで元々」と財団に電話したそうです。
 問い合わせに、財団側も戸惑いました。ただ、その時期、発足以来の協賛会社・富士写真フィルムがカメラのデジタル化に伴って脱退、運動も影響を受けていました。「フィルムからデジタルへ」。財団も時代の流れに呼応、「回収に対して点数付与」という方式が生まれ、04年からスタートしました。
エプソン販売の鈴木衛さん 「突貫工事だったので、パンフレットなども間に合わず、不安でした」と鈴木さん。しかし初年度に4000校が登録、3年で1万校を突破、現在は1万4000校近くに。「子供たちがリサイクルによって、資源の節約や環境保護について実践できる。いい活動だとおほめをいただいています」
 キヤノンは、1年後の2005年から参加しました。2009年11月末で1万2千余の学校・団体が登録しています。インクジェット商品企画第二課の岡崎哲人課長によると、家電量販店、郵便局でも回収していますが、今はベルマークの実績が最も多く、今年の回収実績の伸び率は120%だそうです。「回収効果を上げるという意味もですが、回収率が上がれば、その分が社会貢献という部分にも反映される。ベルマーク運動に参加させていただいてよかったと思います」と話しています。

《写真上から》
・インクカートリッジ638個で作った巨大なベルマークの飾りを展示=大阪市のおおさかATCグリーンエコプラザで
・エプソン販売の鈴木衛さん



運動の歩み

1957
(昭和32)年度
全国へき地教育研究連盟が朝日新聞社にへき地学校支援を要請
1960年度 へき地学校などの教育設備の整備・充実を目的とする「財団法人教育設備助成会」(現ベルマーク教育助成財団)を設立
1961年度 全国のPTAに運動の参加を呼びかけ、参加PTA数2,263校でベルマーク運動が実質的に始まる、協賛会社は41社、協力会社17社 広島県呉市の上山田小学校から、初の証票小包が財団に届く(4,090点) 東京都文京区の茗台中学校が全国初のお買いもの
1962年度 PTA向けに教育設備助成会報を発行
1963年度 へき地学校への援助事業が始まる
1964年度 ベルマーク資金の累計が1億円を突破 「教育設備助成会ニュース」創刊
1965年度 東京都文京区の茗台中学校が初めて累計100万点を突破
1970年度 「月刊ベルマーク」(現ベルマーク新聞)創刊
1972年度 沖縄の本土復帰を記念して「ベルマークでの沖縄の小中学校に教育設備品を」の全国運動を展開 市場調査費の累計が初めて1億円を超えたキユーピーなど4社を表彰
1977年度 大阪朝日ビルでPTAへ初の説明会
1983年度 ベルマーク証票総累計100万点校が1000校を超える
1984年度 三宅島噴火(1983年10月)の被災校を支援
1985年度 養護学校への援助が始まる
1986年度 盲学校全70校に点字図書を贈る
1989
(平成1)年度
ベルマーク資金の累計が100億円を突破
1990年度 財団30周年記念事業で海外援助・聾学校援助が始まる
1991年度 海外の日本人学校への援助も始まる
1992年度 長崎県雲仙普賢岳噴火の被害校を援助
1993年度 北海道南西沖地震奥尻島の被災校を支援
1994年度 阪神・淡路大地震(1995年1月)の被災地に対して被災校援助(神戸市、西宮市、芦屋市の教育委員会へ)
1995年度 阪神・淡路大地震へ全国のPTAから緊急援助の申込が続々集まる
1996年度 阪神・淡路大地震被災校への援助継続
1997年度 財団寄付行為を改定し、援助対象を国内外教育活動全般に広げる 財団名を「教育設備助成会」からベルマーク教育助成財団(略称ベルマーク財団)に改称 病院内学級に初の援助、 「ソフト援助」の第一弾として「一輪車講習会」始まる
1998年度 へき地学校などへの年次教育助成事業に加えて、新たに「ベルマーク資金」を直接援助に生かす「友愛援助事業」を始める
1999年度 小規模の学校を対象に理科の実験や工作をする「実験教室」を開催
2000年度 「友愛援助」への寄付校・園に盾を贈呈 財団設立40周年記念事業としてベルマーク運動貢献校に盾を贈る ベルマーク財団ホームページを開設
2001年度 「友愛援助」への寄付校・園に盾を贈呈
2002年度 「緊急友愛援助」でアフガニスタンの戦災孤児救済 ベルマーク資金の累計が200億円突破
2003年度 運動参加校が2万8000校を超える
2004年度 新潟県中越地震の被災校の救援で「緊急友愛援助」を呼びかけ第一次援助を届ける エプソン販売が協賛会社に参加、使用済みインクカートリッジ回収後に証明書を発行する新方式スタート
2005年度 新潟県中越地震の被災校援助を継続、援助累計は186校・6,200万円相当に 福岡県西方沖地震救援に280万円相当援助 三宅島に帰島した子どもたちの激励援助として150万円相当援助
2006年度 公民館、生涯学習センターなどの社会教育施設や大学、短大などベルマーク運動の参加資格を拡大 2年ぶりに校舎を新設、授業を再開した新潟県中越地震の被災校、山古志小学校中学校に100万円相当の激励支援
2007年度 福岡県西方沖地震で被災した玄界小学校中学校の授業再開へ激励援助 能登半島地震の被災校援助 財政再建団体の北海道夕張市の小中学校へ激励援助 新潟県中越沖地震の被災校援助
2008年度 北海道夕張市の中学校へ激励援助を継続 岩手・宮城内陸地震被災校援助 中国・四川大地震、ミャンマー大水害の被災援助 ミャンマー大水害被災のヤンゴン日本人学校援助
2009年度 さいたま市で開かれた生涯学習フェア(まなびピアさいたま)の蕨市の展示コーナーでベルマーク運動を紹介