かつて日本の経済を支えた炭鉱の町、メロンの産地映画のロケ地などとして知られる北海道夕張市が、多額の累積赤字を抱えて財政破綻、3月に財政再建団体になってしまいました。多額の赤字は18年間かかって返済する計画ですが、市民生活はもちろん児童・生徒へも大きな影響を与えそうです。夕張の歴史を振り返りながら、今の姿を紹介します。
<炭坑20カ所>
夕張市の歴史は、1888年(明治21年)に石炭の露頭が発見されたことに始まりました。2年後に炭鉱が開発されてから次々と開鉱されてきました。

以後、優良な石炭が採掘され、日本のエネルギーの重要な供給源となっていき、1943年(昭和18年)岩見沢市とともに北海道で9番目の市になりました。このころの人口は7万3953人でした。
太平洋戦争をはさんでも人口の増加は続き、1960年(昭和35年)には、
11万6908人に上りました。しかし、これがピークでした。
この前年に石炭鉱業合理化政策「新合理化長期計画」が策定されて、20の炭鉱があった同市からも一つ、また一つと炭鉱が姿を消していきました。
最後まで残っていたのは、三菱南大夕張炭鉱で、1990年3月に閉山になり、夕張から石炭産業は完全に消滅しました。
<観光へ転換>
相次ぐ閉山で暗いイメージを払拭し、活性化させようと、企業誘致や観光開発が計画されました。
特に観光開発は、目玉。石炭を採掘していた本物の炭鉱を中心に日本経済にいかに大きな貢献をしてきたかということを後世に残すために1980年に「石炭博物館」が建設され、2003年にはミニシアターやシネマショップなどある「郷愁の丘ミュージアム」が完成しました。
このほかホテルなどの宿泊施設や映画のロケ地、「黄色いハンカチ想い出広
場」「北の零年希望の杜」などの整備も進められました。
この結果、1976年度、35万人だった観光客は順調に伸び続け、1991年度には230万人にもなりました。しかし、長引く不況の影響もあり、2000年の201万人を最後に減少し続け、一昨年度は140万人台にまで減少してしまいました。
<人口が激減>
3月1日現在の人口は男6,016人、女6,754人でピーク時の10分の1程度になっています。

「広報ゆうばり」の臨時号によると、わが国のエネルギー事情の大きな変化により、炭鉱の閉山が相次ぎそれに伴い、人口も減少するなど地域の経済社会構造は急速に変化していきました。市は、人口減少の中、石炭産業に代わる観光振興住宅や教育、福祉対策などに多額の財政支出をしてきたといいます。
しかし、人口減による市税や地方交付税の減少、組織のスリム化の立ち遅れで人件費の抑制も不十分だったようです。また観光開発に伴う公債費などの負担や第三セクターの運営に対する赤字補填の増大などで財政負担は重くなったといいます。
<新しい動き>
累積赤字は353億円に上り、これを18年計画で返済することになっています。そのためには、4月から一般職員の給料を平均で30%、特別職も大幅削減したり、市職員の大幅削減なども予定されています。
このほか不採算の観光事業の取りやめ、病院事業の見直し、小中学校の統合を含む公共施設の統廃合なども計画されており、市民生活や教育に大きな影響が出てくることは当然でしょう。
暗いニュースばかりですが、前向きに取り組んでいこうという市民も少なくありません。
その一人が、建設会社役員の沢田直矢さん(39)。これまで夕張市と実行委員会の共催で実施されてきたゆうばり国際ファンタスティック映画祭の灯を消さないようにと、2月にNPOゆうばりファンタを立ち上げ、協力を呼びかけ、計画を練っています。
また、朝日新聞によると自己破産した夕張市の第三セクター、「石炭の歴史村観光」が運営していた酒製造・販売施設「めろん城」を引き継ごうと、新しい会社を設立した市民もいます。
沢田さんたちだけでなく多くの人たちが衰退の中から立ち上がろうとしています。
いまの夕張の状態は、厳冬期かもしれません。これから寒風が吹きすさび身がすくむような経験もするでしょうが、頑張っていれば、確実に春は来るでしょう。それを信じて、頑張ってほしいと思います。