ベルマーク教育助成財団の「実験名人ベルマーク教室」でおなじみの島根大学特任教授、曽我部國久さんが行った実験教室が2007年末で650回を超えました。1989年から小中学校などに出向いて教えており、ベルマーク財団主催の実験名人には2000年から関わりました。理科離れがいわれる中、「出前実験教室は私のライフワーク。子どもたちに科学の面白さを伝えるため、これからも続けたい」。ことし2月に65歳を迎える曽我部さんは意欲を燃やしています。
出前実験教室で全国を飛び回る曽我部さんを支えているのは、教室で出会う子どもたちの笑顔や反応、目の輝きです。低学年は30分も持たないと校長先生が言っていたのに2時間、3時間、集中して一人も席を立たないことがしばしばです。液体窒素でバラバラになった花を見て「花がからあげになった」「マシュマロが冷たくておいしい。別の食べ物みたい」。子どもの疑問、言葉にも驚かされ、目の確かさに教えられることも多い、といいます。「今日まで理科が苦手でしたが、実験教室で面白そうだな、やってみたいなと思うようになりました」。お礼の手紙や、終わって「また来てね」と駆け寄る子どもとの出会いがエネルギー源です。
実は島根大の曽我部さんの講座に、小学生の時に実験教室を体験して理科が好きになったから志望した、という学生が4年前に来たことがあります。その一言で、今までのすべてが救われた、と思ったそうです。同時に「埋もれている原石は、自分の行くのを待っているかも知れない。早く行って見つけなくては」と意欲を一段とかき立てられたそうです。
液体窒素、ヘリウムガスと水素ガスの保存容器が合わせて約90`グラム、電子レンジ、科学マジックショー用ボックス2個、万華鏡作成用箱3個、体験用の発泡スチロール箱、花やバナナ、マシュマロを入れた箱、超伝導用磁石板…。曽我部さんが実験教室にもってゆく実験器材は、ざっと15箱、重さは約150`グラムにもなります。
こうした実験器材などを車に載せ、曽我部さんは教室が始まる2時間以上前には会場に着きます。万華鏡も、鏡や他のパーツも、ひとつひとつ手作りして並べます。子どもたちのために、先生が教材研究に時間をかけたり、お母さんが食事作りに時間をかけていることと同じだということを、知って欲しいからです。
実験が始まりました。ヘリウムガスを吸って甲高い声で話す曽我部さんに子どもたちから笑い声が上がります。  「次は何が起こるんだろう」。目が輝いてきます。心をつかみます。氷点下196度の液体窒素で凍らせたバナナでクギを打つ、世界でひとつの万華鏡づくりなどざっと10以上の実験を行い、子どもたちに見せ、体験してもらいます。アメリカのアラバマ州立大学留学中、理科嫌いな高校生に化学実験を教えたところ目を輝かせました。「自分のライフワークはこれだ!」と思ったことがきっかけです。
「集中して話を聞かないと、他の子に迷惑がかかるよ」。後ろを向いて話しかけようとした子どもに曽我部さんから注意が飛びます。「先生、子ども一人でやらせなくてはいかんよ」。手間取っている子どもを手伝おうとする先生にも容赦しません。分からなくても、たとえ失敗しても一人でやり抜くことが大事、そう考えるからです。
また教室では、現象を説明するだけではなく、科学する心を育てよう、という言葉が飛び出します。「不思議だなあ、おかしいなあ、と思うことが始まりだよ」。他人がよく見えて自信をなくす場合でも、自分にしか出来ないことを、精一杯やることが大事だと知ってもらおうと、人生に結びつけた言葉がよく出ます。「夢を持ち、その夢を実現する意欲を持つことが大事」といった具合です。
ベルマーク運動での実験教室は00年10月、島根県掛合町が最初でした。「へき地学校や小規模校では、教員配置や経費の関係で理科の実験が出来ず、実験教室を心待ちにしている子どもがいるはず」。賛同した曽我部さんは、それ以来、北海道から沖縄まで、へき地の学校を飛び回っています。
曽我部さんが地元島根県内で始めた出前教室が科学技術庁のサイエンスレンジャー事業のきっかけとなりましたが、現在は、ベルマークの実験名人の他、文部科学省の進める理科大好きプランや子どもゆめ基金の実験教室、地元自治体や学校関係から依頼された実験教室もしています。06年には、長年の実験教室活動により文部科学大臣と日本化学会から表彰されました。
曽我部さんは06年春に島根大を定年退官しましたが、大学と出雲科学館館長の仕事があるので、休日もほとんどつぶれます。それでも子どもたちの笑顔を見たいために20年目になる今年も車を走らせ、実験教室に向かいます。
(2008/1/17)
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