豪雨禍の隣の学校をベルマークで支援/広島・海田小の児童会


(2019/02/28)印刷する

 2018年7月の西日本豪雨で大きな被害に見舞われた広島市安芸区の市立矢野小学校(児童数635人)を支援しようと、隣接する海田町立海田小学校(同369人)の児童らが、ベルマークを集めて備品を送る活動に取り組んでいます。豪雨では海田町も大変な被害があり,多くのボランティアが活躍しました。ボランティアに行くこともお金を寄付することもできない小学生でも、困っているほかの子らのために何かできることはないか、と考えた結果がベルマークでした。

海田小のベルマーク委員会メンバーと真田紀子先生(後列左端)

 矢野小は豪雨で校舎1階に泥が流れ込んだほか、校庭が土砂の仮置き場に、体育館が避難所になり、長期間不便を強いられました。海田小児童会のベルマーク委員会の世話をしている真田紀子先生が、知人を介して矢野小の大変な状況を知り、ベルマークを通じた支援を子どもたちに提案しました。

 海田小も豪雨に伴う雨漏りで図書室の本が濡れたり、体育館の地下倉庫に水が溜まったりする被害を受けました。校区内もあちこちが泥で埋まり、各地から駆けつけたボランティアの人たちが復旧に力を尽くしました。その姿を間近で見ていた子どもたちは、「自分らも何かの役に立てるなら」と提案を快諾。支援に向けて10月から動き出しました。

 「ぼくたちのベルマークを役立てて下さい」。矢野小の児童会に手紙で伝えると、すぐに「とても心温まりました。そちらの校区でも被害があったにもかかわらず、こちらのことまで心配していただきとても感謝しております」という返事がきました。

 海田小ベルマーク委員会のメンバーは5~6年生の12人です。毎月10日の「ベルマークの日」に全校児童が持ち寄ったマークを各クラスの箱から回収し、委員会活動の時間に仕分け・集計しています。PTAの学級代表部も協力しており、毎年6~8万点を集めて自校の備品類を購入してきました。

委員会の子どもたちが作った、マークの収集を呼びかける各クラス用のポスターと家庭・地域向けのチラシ

 今年度は集めたすべてのマークを矢野小の支援に充てることにしました。短い期間で少しでも点数を増やそうと、子どもたちは知恵を絞りました。ポスターを作って各クラスに貼り出し、昼の校内放送でもPRしました。保護者や地域の人たちにもチラシを通じて協力を呼びかけました。その結果、地元の電気屋さんがマークを持ってきてくれたり、先生たちがマークを集めて回収箱に入れてくれたり、善意の輪が広がりました。

 最終的に集まった点数は約9万7千にもなりました。矢野小の希望で、将棋セット32個を購入し、贈ることにしています。ベルマーク委員会の委員長を務める堀柊斗君(6年生)は、「小学校生活最後の年にとてもいい経験ができた」と言います。副委員長の八代孝輔君(同)は、「ほかの学校の役に立てたことはとてもうれしい。取り組める期間が短かったので頑張りました」。河井実咲さん(同)は「校内放送の呼びかけにみんなが協力してくれたことに感激しました」と振り返ります。

 真田先生は「限られた時間の中で委員の子らが、他校との交渉など慣れないことも含め、できることに責任をもって懸命に取り組んでくれた」とし、「小さなボランティアの経験をこれからに生かしてもらえれば」と期待しています。大橋綾子校長も「他人を思う気持ちを育んでいってほしい」と話しています。

 矢野小の廣本典子校長は、「ひどい災害に見舞われたけれど、海田小をはじめとするたくさんの人たちから温かい心をいただきました。子どもたちには、『ありがとう』で終わるのではなく、困っている人たちの立場で自分に何ができるのかを考え、動ける人になってほしい」と言います。海田小から備品類が届いたら、児童らが作ったお礼のビデオレターを贈る予定です。

1928年のアムステルダム五輪の陸上競技三段跳びで、日本人初の金メダリストとなった織田幹雄さんは海田小OB。校庭の国旗掲揚ポールの高さは、その時の記録と同じ「15.21m」です
海田小は英語教育にも力を入れています=いずれも広島県海田町昭和中町
ようやく使えるようになった矢野小の校庭。豪雨からしばらくは鉄棒が埋まるくらい土砂が積み重なっていたそうです=広島市安芸区矢野西六丁目

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