宮城県・被災校ルポ
(2017/10/10)印刷する
体験ない子どもたちに、防災をどう教える
新校舎も各地に/復興に地域差も
宮城県の南部、名取市の閖上(ゆりあげ)小学校(児童54人)は大震災からずっと、市内の不二が丘小学校に間借りしています。9月下旬に訪ねました。
7人いる5年生の教室をのぞくと、黒板の前に椅子を持っていき、先生を囲んでこぢんまりと楽しそうに算数の授業をしていました。
閖上小はこの3年間、ベルマーク財団の被災校支援で、バス借り上げの費用援助を受けています。設備品を贈られても置く場所がないことと、必要なものは不二が丘小から借りられるためです。博物館や天文台の見学、山形県への修学旅行といった行事のバス費用に活用しています。
県南では海岸から平地が広く続き、大震災の津波は平地の奥深く押し寄せました。海岸から2キロ離れた閖上小も大きな被害を受けました。
その旧校舎の近くをかさ上げし、新校舎の工事が進んでいます。閖上中学校と一緒になって来春、1年生から9年生までの一貫校「閖上義務教育学校」として生まれ変わります。
周りには復興公営住宅もどんどん建っています。「被災の歴史を残す場所です。地域とともに歩む、コミュニティーの中核となる学校にしたいですね」。渡邊誠校長は意気込みを語ります。図書室は地域に開放するつもりです。
一足先に新校舎に移ったのは、名取市の南の亘理町にある長瀞(ながとろ)小学校です。3年前、宮城県で被災した現地で校舎を再建した第一号です。
震災前264人いた児童は181人に減りました。長瀞小に限りませんが、子どもながら周りに遠慮しての避難生活。触れ合いが少なくなってゲーム機で一人遊び。そんな環境が続いたためか、「心と体の成長バランスをとることが課題の一つです」と鈴木幸栄校長は言います。
ベルマーク財団の支援を受け、紅白の大玉を購入しました。それまで全員参加の競技は綱引きだけでしたが、「運動会でみんなで大玉送りを楽しむことができました」と鈴木校長もうれしそうです。
陸上競技にも力を入れ、走り方のコツを習得できるラダーやハードルをそろえました。その甲斐があってか、2年前、陸上競技の交流大会で県1位に輝き、全国大会に進みました。
南隣の山元町の山下第二小学校(児童89人)は5年5カ月の間借り生活の後、1年前に新校舎に入りました。元の場所よりも内陸に移ったJR常磐線の山下駅近く、田んぼだったところを新たに開発した地区にあります。学校とは思えない斬新なデザインです。
「被災の風化を防ぎ、伝えることの大切さを実感します」と言うのは富田栄子校長です。悲惨な体験のフラッシュバックにならないよう気を遣いつつ、防災教育に当たっています。
宮城県小学校長会の吉木修会長(名取市立増田小学校校長)も、防災教育の重要さを強調します。「来春の新1年生は、大震災の後に生まれた子なんです」。高学年なら被災の体験と記憶はありますが、これから体験も記憶もない子たちが学校に入ってきます。
あの惨状をどう伝え、どんな教訓を引き出して継いでいくか。大きな課題への取り組みが教育に問われます。
大震災を経て、東北では児童生徒数の減少と、学校の統廃合が一気に進んでいます。同じ被災地といっても、地域や学校ごとに様相は異なります。宮城県内でも、東北部の南三陸地域では、今なおかなりの学校の校庭に仮設住宅が残っています。