福島・被災校リポート


(2014/09/26)印刷する

双葉町の3校と幼稚園、避難先で3年ぶりの再開
子どもの数確保が難題

8月に授業が始まった仮設校舎の表札には、3校1園の名が並んでいます

 同じ大震災の被災地でも、福島の姿は岩手、宮城とは大きく異なります。東京電力福島第一原発の事故による高い放射線量のため、地元に戻るめどがまったく立たない自治体が少なくないのです。学校も、子どもたちが全国に散り散りになったり、県内の遠く離れたところでの間借りや仮設校舎での生活を続けたりと、相変わらずの厳しさです。

 そんななか、全町避難を強いられている双葉町にあった双葉南小学校と双葉北小学校、双葉中学校がひとつの校舎で、震災から3年ぶりに再開しました。別棟には、ふたば幼稚園も来ました。校舎は双葉町ではなく、茨城県境のすぐ近く、いわき市の郊外にあります。

 4月の再開では、銀行の旧出張所を借りてのものでした。なにせ狭く、「教室」は厚紙ボードで間仕切りしてつくりました。ピアノは置けずに簡易キーボードでしのぎ、鍵盤ハーモニカも他の「教室」に迷惑にならないよう、外に出て練習してきました。

双葉中の1年生は4人

 近くで仮設校舎の建設も同時に進み、2学期に引っ越すことができました。「特別教室や図書室もやっと確保できました」と伏見康弘・双葉中校長は言い、日野俊隆・双葉南小校長は「プレハブながら体育館ができたのが一番うれしい」そうです。

 ただ問題は、子どもたちの数です。南小は1年生だけ2人、北小は5年生1人と6年生2人、中学は1年生4人、2年生3人、3年生1人、合わせて13人です。震災前はいずれも200人前後の児童・生徒がいた学校がこうなりました。

 日野校長によりますと、開校にあたって保護者にアンケートをしましたが、ほとんどが「再開校には行かない」という返答でした。双葉の子どもたちは各地の避難先での生活になれて友達もでき、戻る決心がつかいないのです。

(左から)伏見康弘・双葉中校長、日野俊隆・双葉南小校長、渡辺由起子・双葉北小校長=いずれも、いわき市錦町御宝殿で

 「子どもたちがこの学校に入ってきてくれるのか、これからのことをついつい考えてしまう」と日野校長は言いつつ、「今いる子どもたちと一緒に一生懸命にやっていく。それが、子どもたちが戻ることにもつながると信じます」と話してくれました。

 たとえ児童・生徒が少なくても、再開すれば備品や教材は必要です。双葉町に限ったことではありません。自然災害ではない、原発による汚染という福島の事情もあります。福島県中学校長会の君島勇吉会長は「放射線教育、防災教育の教材がたいへん重要なのです」と言います。

 また、同県小学校長会の会田智康会長によりますと、かなりの被災校ではPTAが解体したも同然で、活動できないことも大きな問題だと話しています。

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