理科実験教室に笑顔がいっぱい/岐阜・高山市立岩滝小学校


(2021/12/14)印刷する

 12人の児童が次々と、教室で使う木製の椅子を両手で抱えながら、バタバタと床を鳴らし、体育館に飛び込んでくる。きょうは待ちに待った理科実験教室。「おはようございます!」「こんにちは!」。マスク越しのあいさつも元気がいい。

 岐阜県高山市立岩滝小学校(土師功嗣=はぜかつじ=校長)はJR高山駅から車で約30分。小高い山に立つ学校です。ここで11月30日、「NPO法人サイエンスものづくり塾エジソンの会」(華井章裕代表)の6人を招いた理科実験教室が開かれました。教室は山間部などの学校を対象にしたベルマーク財団の支援活動のひとつで、子どもたちに人気の教室です。

 教室は2部構成。理科実験のあとに、ものづくりに挑戦です。

 細長い風船「ペンシルバルーン」を飛ばすと、子どもたちの頭上で、大きく破裂します。「わーっ」「キャーッ」。何もしないのになぜ破裂? それは、ゴムを溶かす柑橘系の油を、飛ばす直前にちょっと風船につけるから。みるみる反応して、数秒後には大きな音を立てて粉々になるのです。手品のような仕組みを知った子どもたちは一様に感心した様子です。このあと、コップからこぼれ落ちない水、手のひらにのせた綿(綿火薬といって、花火の導火線などに用いられる)に火をつけると一瞬で消えてなくなる実験などが次々と登場。子どもたちも実験を手伝い、「なんでこうなるの?」「わっー」などと興味津々、歓声があがります。

 そして、一番の見せ場は、液体窒素を使った実験です。「これから使う液体窒素というのはすごく冷たくて、マイナス196度もあるんだよ」と、エジソンの会の華井さんが説明すると、子どもたちはちょっと感覚がつかめないよう。でも、次に、一枚とった白菜を液体窒素につけて、瞬間に凍った白菜を両手で挟んでたたくと、あっという間にこなごなに。これにはみんながびっくり。エジソンの会のメンバーの助けを借りながら、次々に子どもたちは凍った白菜を両手で挟み、たたいていきます。凍ったバナナをトンカチがわりにしてクギ打ちにも挑戦しました。

 教室の後半は、机に横一列に並んで万華鏡づくりからスタートです。紙製の鏡を器用に折り、筒に千代紙を張り、キラキラ光る小片やビーズなどを先端の透明なカップに詰めていきます。みんな器用に作業していきます。完成した万華鏡の穴をのぞき込み、「わっー、きれい」と、顔と顔がほころびます。

 このほかにも、キラキラした細長いテープひもを何本もつけて作る「くるくるレインボー」などの工作に挑戦しました。

 4年生と5年生の子どもたちは、最後にみんなの前で感想を披露しました。

  新田洋平さん(5年)「今日の理科実験教室でいろいろな工作ができて、とても楽しかったです」

  川尻英輔さん(5年)「液体窒素の実験で凍った白菜がパリパリして、面白かったです」

  谷尻真奈美さん(4年)「理科実験もそうだし、工作もいろいろ作れて楽しかったです」

  上野有杏さん(4年)「実験も工作も楽しかった。ぜひ家でもやってみたいと思います」

  森下そらさん(4年)「理科実験は初めてだったけど楽しかったです」

 拍手、また、拍手。童心にかえった先生方の笑顔も素敵でした。

■岩滝小学校を知ってもらうために

 岩滝小学校は、全校児童12人。今年度は6年生はおらず、1年生4人、2年生1人、3年生2人、4年生3人、5年生2人で、指導にあたるのは13人の教職員。来年度は新一年生1人が入学する予定だそうだ。

 明治7(1874)年に前身の学校2校が相次いで開校し、同26(1983)年に両校が合併。その後、昭和30(1955)年に地域が高山市に編入され、高山市立岩滝小学校に改称された。小高い山のふもとに校舎があったが、現在の場所に移転されてから40年が経つという。

 学校が掲げる教育の実践活動は、「岩滝小のじまん」として、子どもたちが代々引き継いでいる。その一つが「合唱」。いつも元気なあいさつとともに、力を入れている。11月には校舎移転40周年の記念式典で、元気よく歌声を披露したという。

 「棚田」を通した活動も大切にしている。近隣の棚田への愛着を深め、残していくことを子どもたちに自覚してもらうという。田植えをし、稲刈りもする。地域の長老たちから話を聞き、米づくりの勉強をしている。12月3日には収穫祭を開き、自分たちが作った米でつくったおにぎりを食べるという。

 子どもたちで進める「学習」も重要だ。今年4月に着任した土師校長は「複式学級をとっていますが、子どもたちが自分たちでやるという気持ちをもつことが大切。必要なときに先生がかかわります。子どもたちが自分たちで進め、ものごとをしっかり追求していくように心がけています」と解説してくれた。

 小高い山のふもとの橋から小学校まで、曲がりくねった急坂は800メートルも続くという。筆者がエジソンの会のメンバーと一緒に車で学校を訪ねるその道中、だれからともなく「さすがにスクールバスを使っているよ」。

 でも、土師校長はいう。「全員、ふもとから歩いて学校に通ってきますよ」。12人の子どもたちが元気いっぱいなのは、登下校の通学で培われたこともあるのだろう。

 校舎が移転する前の最盛期には200人を超える児童が通っていたという岩滝小学校。体育館には、学校のこれまでの資料や児童の集合写真などが飾られていた。

朝日新聞社「アサヒグラフ」1961年発刊から
朝日新聞社「アサヒグラフ」1961年発刊から

 昭和36(1961)年の写真雑誌「アサヒグラフ」で、岩滝小学校が取り上げられていた。地元の猟師が親熊を撃ち取ったため、一人になった子熊を子どもたちが学校で育てているという写真特集だ。子熊と遊ぶ、大勢の児童の笑顔がそこにあった。

 元気いっぱいで、笑顔が絶えない学びの場は、たとえ、少人数になっても、時代を経ても変わらない。

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