[東北3県被災校リポート・岩手]校庭で遊ぶことなく卒業も/学校の時間大切、前向きに「語り部」
(2015/10/28)印刷する
岩手県大船渡市の最南端、末崎町にある市立末崎小学校。校庭に仮設住宅が建ち並びます。
校庭は、休み時間や放課後、先生から離れて友情や人間関係を培っていく自治的な時間と空間。子どものなかで問題を解決していける場所。そう考える熊谷拓郎校長は、大切な校庭を使えない悩みを語りました。
体育館や中庭は体を動かすスペースを生み出せますが、児童の体力が落ちているのも心配です。「サッカーも陸上も動きが小さくて……。陸上の練習をするにも室内と土では条件も違いますから」。
仮設住宅は来年夏には移転する計画です。土の入れ替え作業などで、元に戻るのはさらに先になります。震災時に1年生だった今の5年生は、校庭に立つことなく卒業する見通しです。
児童152人のうち15人がいまも仮設住宅にいます。うち2人は校庭から通います。移転すれば通学が不便になるし、仮設の人たちにも負担をかけます。「校庭が戻ればいい、というわけではないんです」。
今年度の財団の援助では、プールのコースロープを買う予定です。「ベルマークには助けられています」と熊谷校長は話しました。
大船渡湾を望む高台にある大船渡市立大船渡中学校の校庭にも仮設住宅があります。入居者が減り、今年2月に駐車場を縮めて小さな「広場」ができました。サッカーゴールを置き、シュート練習はできる広さです。金賢治校長は「生徒は『土の上でできるだけで十分です』と泣かせてくれます」と話します。
野球部は毎月半分ほど、市教委のバスで学校から15分ほど離れたグラウンドを借りています。夕方1~2時間の練習ですが、監督の戸羽智英先生は「モチベーションが上がります」。部長の田中友輝君(2年)は「試合に近い実戦ができるし、声を思い切り出せてまとまりが出てきました」と話しました。
全校生徒229人の28%が仮設住宅です。金校長は言います。「心がけているのは、全員に震災前に流れていた時間を取り戻してやること。学校に来れば普通があって楽しかったと卒業生にいわれたのはうれしい言葉でした」
10月16日、大船渡中では下方にある大船渡小と合同で、津波を想定した避難訓練をします。震災時は実際、小学校から児童や教職員たちが高台の中学校に逃げ、全員無事でした。「訓練でやってよかったことを確認し、学校として伝え、残していくべきことは日々の営みにつないで入れていきます」と金校長は話しました。
釜石市立釜石小学校は海から約1㌔離れた高台にあります。震災の日は短縮授業で、地震発生時には当時の児童184人は自宅や公園などにいましたが、全員無事でした。校区の大半は津波浸水予想地域ですが、それまでの防災教育が生きたことで知られています。
毎月11日は「釜小防災の日」です。当時の状況をただひとり知る外舘千春先生によると、低学年は津波・避難場所を知る、中高学年は津波や地震のメカニズム、昔の人の教訓を学ぶといった授業をします。訓練をする時もあります。
紺野仁司校長と校内を歩きました。廊下や昇降口に貼ってある「全校ぼうさい安全マップ」が目を引きます。校区の危険な場所を子どもたちの視線で見つけ、注意を促すのです。毎年更新し、6月にまた新しくしました。
児童118人の4分の1が仮設住宅から通います。アパートを借り上げる「みなし仮設」の子もいます。震災後に異動してきた紺野校長は、家が狭くて勉強する場にも困る仮設住宅の子の環境を心配します。紺野校長自身、家を失って仮設住宅で3年過ごした経験からの思いです。
大槌町立大槌学園中学部は仮設校舎のままです。町では4月から小中一貫教育が始まり、大槌小と大槌中を合わせた新設校「大槌学園」ができました。
新校舎は高台にある大槌高校グラウンドに建設中ですが、完成は来年秋になるため、3年生は仮設校舎しか知らずに卒業します。「でも、彼らは仮設校舎を本当に大切に使っているんですよ」。後藤康副校長は、放課後の掃除に懸命な生徒たちのわきを通りながら話してくれました。
中学部は255人。うち100人近くが町内の仮設住宅からスクールバスで通ってきます。学園の駐車場にはバスが十数台並んでいました。
財団が支援するバス代は、部活動の遠征や他校との交流に出かける際の一部に充てます。
訪問した日は、3年生が長野・軽井沢に出かけていました。震災体験と未来を語る「語り部プロジェクト」です。前向きに、いま何を頑張っているか、町をどうしたいかを自分の言葉で語ります。全国から要請が続いています。
校庭は小学部との共有です。でも中学部が昼休みに使えるのは水曜日だけです。「すごい勢いで生徒たちは遊ぶんです」と後藤副校長は笑顔でした。