ベルマーク大使・釜木尚美さんと一緒に
(2019/09/04)印刷する
2018年秋にベルマーク大使に任命された、釜木尚美さん。毎日ツイッターで情報発信をし、精力的に活動をしてくださっています。アカウント名「ベル・ブック」としてつぶやく内容は、ベルマーク付き商品の紹介から、集計のコツまで、さまざまです。中でも、ベルマークは「貼らなくてもいい」ということを周知徹底させたいそうです。
元は、大阪府摂津市立別府小学校の図書司書で、仕事をやめた現在も同校を拠点に収集を続け、年に1度マークを送り、預金で学校の本を買っている釜木さん。マークを数えたら貼らずにバラバラと整理袋に入れることで、大幅に時間を節約できると言います。
そんな釜木さんからある日届いたメールの末尾には、「ベルマークに関わる人が楽しく活動できますように、というのが私の願いです」と書かれていました。一体どうしてこんなに熱心に活動してくださるのか、とても気になりました。一度も釜木さんにお会いしたことがなかった私ですが、お目にかかってみたいという気持ちが強くなり、メールを送ると、会うだけでなく「どこか訪問されるところへついて行ってみたいなあ」と返信がきました。
ということで、8月某日、一緒に向かったのは東大阪市役所。市をあげてベルマーク収集に取り組んでくださっている自治体のひとつです。活動の中心となっている監査委員事務局の中尾悟さんに、一緒に会いに行きました。
あらゆる場所に回収箱を設置している東大阪市。市役所本庁舎だけでなく、市民の交流の場として市内に設けられている7ヶ所のリージョンセンターや、郵便局、新聞の販売所等に赤い回収箱を置いて、市民の協力を得ることを心掛けています。
課題は、マークが集まっても仕分けが追いつかないこと。中尾さんは、最近読んだというある本から「人間が生きていくモチベーションは社会への貢献感。ベルマークが当てはまるのではないか」と考えさせられたそうです。「今一度、アクセルを踏み直したい」と前向きに捉えてくださっています。釜木さんは「市役所内に協賛会社別のウォールポケットを置いたらどうか」と提案。さらに「次の仕分け作業の際は私を呼んでください。コツを伝授します。同志として頑張りましょう」と話しました。
釜木さんが一番初めにベルマークと関わったのは「ベルマーク委員にあたってしまった」ことでした。「正直、イラっとしました。しかも『10枚ずつまとめる』というルールだったから」と振り返ります。その後、ベルマーク委員長にもなってしまいましたが、そこで初めて「ベルマーク手帳」を手に取り、「ベルマークは明細を記入さえすれば、貼らなくてもいい」ということを知りました。そして、2004年の新潟県中越地震で被災した旧山古志村の小・中学校への援助にベルマークが使われたことを知って感動し、涙が出そうになったといいます。それ以来、釜木さんの「布教活動」が始まりました。
児童に配布するベルマークだよりには「自分たちが使う備品になるけど、被災地等の支援にもベルマークが役に立っている」ことを盛り込みました。マークの収集を呼びかけると、各家庭に意外と眠っている「たんすベルマーク」が集まりました。仕分け棚を使った仕分けを児童が手伝ってくれるようになり、東日本大震災の時には「やんちゃな子」でさえも「これも被災地に届く?」とマークを持ってきてくれる姿を見て再び、泣きそうになったと言います。
「ベルマークは、子どもにとって『錬金術』のようなもの。『ベルマーク活動をするぐらいなら寄付をすれば』という声もあるけれど、子どもはお金を払えない」と釜木さんは言います。自分たちが集めたベルマークが図書室の本になり、他の子どもたちの支援にもまわるという流れを、別府小の児童は理解しています。ただ預金を貯めるだけでなく、ベルマーク運動の本来の目的を、子どもたちに正しく伝えていることも、釜木さんの素晴らしいところです。
◆ツイッター:ベル・ブック(@bell_book_bb)