[東北3県被災校リポート・宮城]改修終わった校舎へ徐々に/仮設通学800人、小中合同運動会
(2015/10/28)印刷する
宮城県石巻市は県東部に位置し、東日本大震災では津波により大きな被害を受けました。
2015年5月30日、仙台と石巻を結ぶJR仙石線が、震災から4年2カ月ぶりに全線復旧したのをはじめ、市内では新たなまちづくりが急ピッチで進んでいます。一方で、今なお4797世帯・1万152人の方が仮設住宅に暮らし、506人の児童、259人の生徒がそこから学校に通っています(そのほかに親戚宅等から通っている児童・生徒が小中学校合計で58人。世帯数・人数は9月1日現在。児童・生徒数は5月1日現在)。
釜小学校では、震災でプール、空調設備、体育館、給湯設備に大きな損害を受けました。震災前664人いた児童は現在435人に減っています。児童の約4分の1は本来の学区外からスクールバス、車での送迎で通っています。スクールバスの発車時間は決まっているため、放課後の学校での活動時間も制限されます。帰っても仮設住宅の外では運動できる場所はあまりありません。
湊小学校は2014年4月、湊第二小学校と統合し、改修が終わった校舎で新たに再開しましたが、地域が壊滅的な被害を受けたことから子どもたちの転出が重なり、現在では213人と元の湊小学校より児童数は少なくなりました。
やはり学区外の仮設住宅からスクールバスなどで通う児童が約1割います。スクールバスに間に合うよう、放課後実施していた校内清掃を昼休みに行っています。
震災後、他校の校舎を間借りしていましたが、昨年改修が終わり元の学校に戻りました。
「震災後、子どもの心のケアが大きな課題になっています。特に高学年の子どもたちは、社会の大変さを感じているようで、担任を含め学校全体で対応しています」と佐々木隆哉校長は話します。
渡波小学校は2014年3月に改修が終わり、仮設校舎から戻ってきました。
3月10日には体育館で5、6年生による再開後初の卒業式が行われ、地域の人たちが「お帰りなさい」と書かれた横断幕を持って笑顔いっぱいに出迎えてくれました。
学校の近くのお年寄りが運動会の練習を見学に来たり、通学途中で「おはよう」と気軽に子どもたちに声をかけたりしてくれます。
「自前の校庭で遊べるようになり、子どもたちも落ち着いてきました。たくさん遊んで汗をかくと集中力が増し、人の話もよく聞けるようになるようです」と松浦達夫校長は笑顔で話しました。
現在、学校は地域の避難所となり、屋上には停電の場合の発電用にソーラーパネルが設置され、外から屋上にのぼれるよう新たに避難階段も増設されました。11月には地域の避難訓練が行われます。
屋上からは2015年3月に完成した、沿岸部での避難のための「大宮町津波避難タワー」が近くに望めます。
石巻市の中央やや北に位置する二俣小学校の校庭の一角に大川小学校の仮設校舎が建っています。プール、体育館などは二俣小のものを借りています。全校で29人の小規模校なので、子どもたちは学年を超えて非常に仲良しです。上級生は下級生の面倒を良く見ています。今年は3人の新入生を迎えました。給食は子どもも先生もみんな一緒の教室で食べます。
一方、より切磋琢磨し、広い社会性を身につけるため二俣小と交流も深めています。子どもたちが考えた「大川小と二俣小で心をひとつに最高の運動会を作り上げよう!」のスローガンのもと、二俣小と合同運動会を開催しました。
学校では昨年から防災教育にも力を入れています。学区内のリスクマップをグループに分かれて作成し、授業で実際に出かけ自分の目で確認しました。
雄勝小学校は、北上川の北側、相野谷地区にある石巻北高校飯野川校舎の敷地内に仮設校舎があります。高校の4階には雄勝中学校が間借りしています。高校は定時制なので、日中の校庭は児童がほぼ独占して遊んでいます。
雄勝地区は、水産業が盛んでホタテの養殖や鮭の稚魚の放流などが行われています。
また、雄勝硯(おがつすずり)の原料となる玄昌石の産地としても有名です。現在は、仮設住宅から海に通い漁業で生計を立てている家庭が多くあります。
学校では運動会は小学校、中学校が合同運動会として9月に開催します。そのため、小・中合同でソーランや、開会式の練習を行いました。
2017年3月には大須小学校と統合して、新しく完成する雄勝地区統合小中学校に移転する予定です。