協賛会社インタビュー⑤ ラッキーベル
(2014/09/02)印刷する
ラッキーベル株式会社 有吉英二社長
ベルマークとともに成長、品質に自信
協賛会社インタビューシリーズ「私の会社とベルマーク」の第5回は、50年以上にわたって学校用のシューズを生産・販売しているラッキーベル株式会社(神戸市長田区)です。1961(昭和36)年の創業とともにベルマーク運動に参加され、ベルマークとともに成長してきた協賛会社です。有吉英二社長に話をうかがいました。(聞き手・田中昭宏、写真・朝日教之)
――どのような商品を製造・販売されていますか。
商品を持つ有吉英二社長
また学校用の防災ずきんも開発しました。不燃性の素材を使い(公財)日本防炎協会の認定を受けています。東日本では関東大震災の経験からか防災への意識が高く多くの学校で採用されていますが、西日本ではあまり普及していません。ぜひとも学校での防災活動に目を向けてほしいです。
PTAのアンケートを重視
――販売や製品開発でベルマークをどのように活用されていますか。
毎年5~6月に財団が全国で開いているPTA向けの説明会には可能な限り参加しています。その際、PTAの方にアンケートをお願いしており、この結果が非常に参考になります。
例えば、ベルマーク付きの学校用シューズに関心があるかを聞き、あるというPTAには、学校内で説明会を開催し商品のPRを行っております。また学校靴についてPTAが重要視している機能についても、「歩きやすい」「洗いやすい」「丈夫である」などの項目を設けて答えてもらい、製品の改良などの参考にしています。今年の説明会では約2千人から回答を頂きました。消費者の声を直接聞ける大切な場だと思っています。当社は全国に代理店があり、製品についてのさまざまな要望が上がってきますが、この2本柱が製品の質を上げていく重要な要素となります。
――ベルマーク運動とかかわりを持つようになった創業当時のいきさつは。
実は古い資料や記録がなく、関係者から聞いた話などでお話します。
会社のある長田地区は、戦前からゴム靴を作る小さな会社がたくさんありました。しかし戦後、これだけでは地域の産業が立ちいかないという声が上がり、組合を作って学校用の新たなシューズを生産する会社を設立しました。その際、朝日新聞社が提唱したベルマーク運動を足掛かりにして学校に販路を作っていこうという方針を打ち出し、社名もベルマークから取ったラッキーベルにしたそうです。この社名は、新たな方向で産業を活性化しようという地域の思いが込められています。組合はその後、解散しましたが、私どもが会社を引き継ぎ今に至っています。
――長田地区は1995年1月の阪神淡路大震災で大きな火災が起こるなど特に甚大な被害を受けました。
学校用に開発した防災ずきん
――とはいえ経営は厳しかったと察します。ベルマークからの脱退は考えましたか。
いいえ、一切そんな話は出ませんでした。なぜならベルマークはわが社の柱ですから。ただ、おっしゃる通り厳しい経営環境のため、関係しているほかの団体などへの賛助金は、申し訳なかったですが、取りやめたものもあります。
――企業の社会貢献についてお聞かせください。
企業が伸びていくために必要なことです。しかし中小企業は単独でやろうとしても限界があり、効果も少ない。だからこそベルマークのような全国規模で歴史のある運動に参加することは意義があります。
震災の被災企業でもある当社は、その後の新潟県中越地震や東日本大震災などで、被災で得た教訓をもとに支援しました。避難所におられる被災者の多くは靴もなくしてしまったケースが非常に多く、冬場に学校の体育館で避難生活を送る被災者の足元が、暖かく快適に過ごせるよう上履きや体育館シューズを寄付してきました。
PTAの細かな作業の努力を応援したい
――最後に今後のベルマーク運動へのご意見を聞かせてください。
商品についているマークを切り取る細かな作業が面倒だという意見も聞きますが、協賛会社はPTAのそういうご努力に対して支援しています。もしコンビニのポイント制などのようにしたら、PTAの負担はかなり減るでしょうが、それでは協賛企業の負担とのバランスが崩れます。ベルマーク運動はPTAと協賛企業の協力関係の上で成り立っており、それが今後も息長く続く秘訣だと思います。
――ベルマーク運動への真摯な思いを受け止め、今後も長く支援が続けられるよう努力します。