へき地校など支援



今年もへき地学校等へプレゼント  2007年度のベルマーク援助校をたずねて

トランポリン遊びでバランス感覚

北海道岩見沢市北村小学校
 北海道岩見沢市北村小学校(福浦薫校長、164人)は、ベルマーク運動のへき地校援助資金で、大型ジュニアジャンプ(トランポリン)と地上デジタルに対応したDVDレコーダー、バスケットボールが届きました。トランポリンは、特別支援学級児童の体力増進と運動に興味、関心を持たせることが目標で希望しました。
  「トランポリンうまく跳べるようになったね」と白井啓裕教頭。同校には、知的障害児2名と情緒障害児1名が在籍しています。知的障害がある子は体力もなく、初めはトランポリンのサイドバーを使い立つのがやっとでしたが、トランポリンが到着して1ヶ月余り、バランス感覚が養われ1人でも跳べるようになりました。子どもたちは休み時間を自由な活動として、仲良く安全に使用するため、約束をま もりながら1列に並び待ちます。自分の番になり、楽しげに躍動する子どもたちの笑顔はとても魅力的でした。
  岩見沢市は、函館本線と室蘭本線が通る石炭輸送の大動脈を支える都市として発展しましたが、炭鉱の閉鎖に伴い現在は、札幌市のベットタウンの役割を備えた町です。1997年、空知郡北村の全小学校5校が統合して、北村小として開校。2006年3月、栗沢町と北村が編入合併され、岩見沢市立北村小学校となりました。
  学校は、8万3867uの敷地面積が自慢で、単独の野球場やサッカー場、陸上競技場があります。観察の森や果樹園、ルピナスやオダマキの花の丘、遊具を備えた公園などがあり、校舎は新しく、温水プールや障害者用水洗トイレを備え、児童用コンピュータは40台、インターネット利用可能です。
 このように恵まれた環境ですが、市町村合併による予算の削減に伴い、この学校設備を維持していくことが厳しくなっているのも現状です。「なかなかトランポリンのように金額の張る遊具まで購入することができません。援助のおかげでありがたいことです」と福浦薫校長は感謝の気持ちを話していました。
  北村小には、全道の著名な画家、書家より寄贈いただいた作品161点があり、木をふんだんに使った温かみのある廊下に「北村小アートギャラリー」として展示。子どもたちの生活空間に芸術作品が日常的にあることで、情操面が養われているそうです。
  また地域と連帯した総合学習として稲作を教材にしています。地域の方からの指導で田植えから稲刈り、脱穀、調査研究発表、餅つき大会、わらで縄をない「わらじ」の作り方まで実習しています。
(2007/11/5)

伝統を引き継ぐ生徒たちへ贈り物

新潟県佐渡市高千中学校
 童謡に歌われた荒海の向こうにある佐渡ヶ島。島の北西に延びる沿岸のほぼ中央に位置する新潟県佐渡市の高千(たかち)中学校(鈴木恒夫校長、35人)に、この秋ベルマーク運動から、簡単に組み立てられるテント1張とデジタルカメラ3台が贈られました。
  この学校では30年以上も前から、 佐渡に伝わる「文弥人形」の伝承に取り組んでいます。哀愁を帯びた文弥節の調べに合わせて身の丈1メートル数十センチの人形を操って演じる人形芝居で、国指定の重要無形民俗文化財です。市内で伝承している学校は3校だけ。その中で1番長く取り組んでいます。文弥人形クラブの生徒8人が、文弥人形保存会の中田和美さんと本間和子さんから習っています。
  訪れた日はちょうど、10月21日の「佐渡人形芝居発表会」に向けて、「ひらがな盛衰記」の粟津ケ原巴合戦の場の練習に生徒たちは一生懸命でした。力強く早い立ち回りが持ち味で、練習が済んだ生徒たちは荒い息。巴御前の使い手、3年生の本間安理さんは「 首の動かし方で人形が人間みたいになるのが魅力」と話していました。リーダーの3年生、宇川和志君は「人形が生き生きとして動く芝居を見ているうちに感動し、次第にとりこになっていました」「今に残された文化を絶やしてはいけないと思います」と、8月に行われた市の青年の主張で発表しました。そして、「奥が深くやりがいがあります」と話していました。 
  練習の様子を鈴木校長が、寄贈されたデジタルカメラで撮っていました。「3台いただいたので、学年ごとに使うことができます。学校で集めているマークではとても購入できません。今回多くの方々の活動 によっていただくことができて、本当にありがたい」と話していました。
  島の玄関口、両津港からバスを乗り継いで2時間余り。満目の日本海を前に刈り入れが済んだ田んぼに囲まれた鉄筋3階建の学校は、戦後教育が始まった1947年に開校。25年前の統合で校区は沿岸20キロメートルに広がり、点在する18の集落から35人の生徒が通う、へき地3級校です。
  生徒数は年々減り続けて来年は30人になるという状況ですが、「小規模校でも生徒たちはみんな頑張っていますよ」と鈴木校長。陸上スポーツでは全員が島内のマラソン大会に参加し、佐渡市駅伝大会にもチームを組んで出場します。人数をそろえるだけで選抜チームを組めないことが他校に比べて不利ですが、9月の大会では女子チームが勝ち進み、 新潟市の地区大会に出場しました。結果は「予想を上回って47校中19位の成績でした」と、鈴木校長は喜んでいました。生徒たちのために、遠征する時に使うテントが欲しかったそうです。隣の高千小学校と合同で行う秋の運動会は、地区の運動会でもあり、大勢の人が集まりましたが、その時もとても役立ったそうです。生徒たちは「手軽に持ち運べて簡単に組み立てられる」と言いながら、慣れた手つきでテントを組み立てて見せてくれました。 
  荒波が作る波の花が県道をおおい、遮るものない北風が真横に吹きつけるという厳しい冬はもうすぐです。生き生きとたくましく頑張る生徒たちにエールを贈りたいと思いました。
                        ◆
  佐渡の「文弥人形」は、300年ほど前に大阪ではやった浄瑠璃(じょうるり)語りの「文弥節」が佐渡に渡って語り継がれ、1870(明治3)年に文弥語りの伊藤常磐一と、佐渡に古くから伝わる説経(せっきょう)人形芝居の人形使い大崎屋松之助が協力して創り出した人形芝居。高千中学校の生徒を指導している中田和美さんは、「文弥人形」を世界に広く紹介した濱田守太郎さんの孫。
(2007/10/30)

待望の和太鼓、運動会で披露

大分県日田市出野小学校
 大分県日田市立出野小学校(梶原智子校長、18人)にベルマーク運動からの贈り物、和太鼓2つが届きました。希望の品物選びでは「音楽の授業や行事に役立てたい」(梶原校長)と、迷わず和太鼓に決めたそうです。9月下旬の運動会「出野スポーツフェスティバル」で早速、保護者や地域の人たちに披露されました。
  プレゼントされたのは、胴の長い大きな宮太鼓と小ぶりの締め太鼓。「前から欲しかったのですが、高額で手が出せなかった」と梶原校長。運動会が間近に控えていたため、恒例の演技の「ソーラン節」で和太鼓を使おうと 、届いた翌日から竹尾真哉、福永秀幸先生が練習を始めました。2人とも和太鼓演奏は初めて。授業が終わった夕方に体育館や音楽教室で、テープで流すソーラン節の曲に合せて猛練習を続けました。毎日夕方に聞こえる太鼓の響きに、学校近くの人たちの間で「今年の運動会は去年と違うことをやるらしい」と、評判になっていたといいます。
  9月23日に行われた運動会当日は、午前中に1〜3年生の「キッズソーラン」と午後から4〜6年生の「ソーラン節」があり、和太鼓も登場。子どもたちの可愛い踊りの演技と和太鼓の勇壮な演奏に、保護者や地域の人たちから盛んな拍手が起きたそうです。参加者も昨年を上回る130人余りで「運動会が盛り上がりました」と、梶原校長は話しています。
  11月20日には日田市小学校音楽祭があり、出野小は児童18人全員が「わらべ歌」を発表する予定です。子どもたちに伝えたいわらべ歌を、地域の人たちからアンケートを取って発表曲を選び、演奏には和太鼓も使う計画です。
  出野小は、日田市の中心部から車で約30分、山間部の旧前津江村(05年3月に日田市などと合併)にあります。校区は7地区72戸で、ほとんどが兼業農家です。現在は4地区14戸の家庭の児童が在籍していて、一番遠い地区からは約4キロあり、3人の児童が、社会福祉協議会が走らせている「福祉バス」で登校し、帰りは家族が迎えに来ます。「地域の学校」意識が強く、運動会や学習発表会、駅伝大会などの学校行事は、保護者だけでなく、毎年多くの地域の人たちが参加するそうです。
(2007/10/19)

トランポリンに大喜び

新設の岡山南養護学校
 岡山県岡山市の県立岡山南養護学校(大石隆夫校長、196人)に9月初旬、ベルマーク教育助成財団からトランポリンとミニサッカーゴール、サッカーボールが贈られました。今春開校したばかりの学校側は「助かります。ありがたい 」と喜んでいました。
  トランポリンは小型で体重50キロまでの子が対象です。低学年用としてプレイルームに置いてあり、子どもたちはマットに上がり、飛び跳ね「わあい」と歓声をあげていました。休憩、体育の時間や遊びの指導に活用されることになっています。
  ミニサッカーゴールは移動できるため、屋内体育館などでも使え、学校側は「練習しやすくなりました」と話しています。
  同校は小、中、高等部があり知的障害の子らが通っています。県立岡山西養護学校から分離独立する形で今春開校、段差がないなど人にやさしい工夫がこらされていますが、それでも 設備品が足りないのが現状です。
  同校の最近の話題は、高等部1年吉田香織さんがスペシャルオリンピック夏季世界大会(10月、中国・上海)で水泳25bに出場したことです。吉田さんは岡山県唯一の出場者。5歳のころから水泳を始め、お母さんと一緒に練習に励んでいます。
  吉田さんは大会前に「(水泳は)楽しい。(世界大会に出れて)うれしい。金メダルを取って、みんなにみせたい」と話していました。学校では、9月22日の運動会で、吉田さんと、全国障害者スポーツ大会(10月、秋田県)に出場する高等部の生徒2人の壮行会をしました。
(2007/10/11-5)

大太鼓など、授業や行事で活用

三重県立杉の子特別支援学校
 三重県鈴鹿市の県立杉の子特別支援学校(浅生篤校長)に、ベルマーク教育助成運動からスポットライト一式と大太鼓、移動式人形劇舞台、ドッチビーセットが届きました。
  スポットライトは、11月の文化祭をはじめ学習発表会などで舞台を明るく照らしてくれます。ドッチビーは体育の授業や遊びで使われ、移動式人形劇舞台は校内のプレイルームなどで子どもたちに楽しい人形劇を見せるのに活躍します 。学校を訪れたときに見せていただいた音楽の授業では、子どもが不自由な手にバチを握って、楽しそうに大太鼓をたたいていました。
  同校は、学校教育法などの改正で今年春、それまでの「養護学校」から「特別支援学校」に校名変更しました。児童生徒は37人ですが、うち29人が重症の心身障がいや筋ジストロフィー症などで隣接の国立病院機構鈴鹿病院に入院しています(病院から同校に通ってくるのが14人、学校から教員が出向いて授業を行う訪問教育が15人)。残り8人は地元の鈴鹿、亀山両市から自宅通学しています。
  学年は小学部から高等部まであり、高等部には成人もいます。昨年春の卒業生の中には大正生まれの人がいたそうです。
  このように障害の種類や程度、年 齢層がさまざまな児童生徒を預かる同校が目指す学校像は「高い専門性と信頼性を備えた特別支援学校」です。児童生徒一人ひとりに対する専門性、多様性、個性、特性ある教育を求めています。
  校内の一角に子どもたちの陶芸作品を展示したコーナーがあります。不自由な手を一生懸命に動かして土をこね、色をつけて焼き上げたものです。形として整ってはいませんが、それぞれ個性が感じられる作品に仕上がっています。
  先生方も子どもたちの教育環境の向上に努めており、コンピューターのマウスを手指のわずかな動きで操作できるような装置を手作りする先生もいます。教頭の小川直紀先生の名刺には、高等部の生徒がコンピューターで描いたキツツキのイラストが刷り込んでありました。
  学校周辺の鈴鹿市加佐登地区は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が亡くなった地と伝えられているほか、景行天皇が仮の御所を置いた地とも言われ、古代の歴史が薫る地域です。
(2007/10/11-4)

AED講習へトレーニングシステム

三重県鳥羽市神島中学校
 三重県鳥羽市の神島中学校(喜多文秀校長、17人)に9月、AED(自動体外式除細動器)トレーニングシステム、デジタルカメラ、卓上用グロッケン(鉄琴)、文化筝(こと)、サッカーボールなどが届きました。ベルマーク教育助成運動からへき地校への援助品です。三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台として有名になった島に、生徒たちの歓声が響きました。
  AEDは、けいれんするなどした心臓に電気ショックを与え、正常なリズムに戻す機器です。近年、駅や公共機関、会社など人がたくさん集まる場所に設置されるようになりました。神島には診療所に1台備えてあります。
 トレーニングシステムは、いざという時にAEDを使えるよう訓練する機器で、AEDと訓練用マネキン人形(上半身)がセットになっています。神島中では、海難事故の発生が心配される夏休みを前に毎年、診療所の医師を迎えて心肺蘇生講習会を実施し、生徒だけでなく先生やPTAの島民も対象に、AEDの使い方や人工呼吸の方法などを学んでいます。AEDの訓練機器は鳥羽市消防本部の備品ですが、時期的に借りたいという希望が多く、確保するのが大変でした。「来年からは、借りる心配をしなくてもすみます」と中島健教頭は喜んでいました。
  約480人の島民の4割が65歳以上という神島で、若い中学生は貴重で頼もしい戦力です。トレーニングシステムの活用で、さらに頼もしく育ってもらいたいものです。
  デジタルカメラは3台届きました。小学校と合同の総合的学習で調べている地域の食文化の記録づくりや、市部の学校との交流学習、行事などの様子を撮影します。卓上用グロッケンと文化筝は、音楽の先生の希望で届けられました。
  さまざまな援助品を前に、生徒会の小久保朱里さん(3年)や小久保真梨さん(同)、小久保佳歩さん(2年)は「驚きました。とてもうれしい」と話していました。
  神島は周囲約4キロで、鳥羽港から約14キロ、愛知県の渥美半島先端から約3.5キロの伊勢湾入り口に浮かんでいます。市内の離島の中で一番の漁獲量を誇り、釣り客も多く訪れます。
  観光客のお目当ては『潮騒』ゆかりの場所。とくに主人公の男女が初めて愛を確かめあった監的哨(かんてきしょう=訓練で発射された砲弾の着水地点を監視する施設)や灯台が人気があります。『潮騒』はこれまで5回映画化され、2作目の主演は吉永小百合、浜田光夫、4作目は山口百恵、三浦友和でした。
(2007/10/11-3)

小学生も一緒に病院の中で勉強

長崎大附属病院内の市立山里中学校
 闘病しながら全国4カ所の病院内学級で学んでいる子どもたちに、ベルマーク運動からの贈り物、ノートパソコン、自習用ソフト、プリンター、パソコンデスクが届きました。
  長崎市の長崎大学医学部・ 歯学部附属病院にある市立山里中学校の院内学級には、9月上旬に贈られました。ここには1カ月以上入院している1〜3年生各1人の計3人が在籍しています。1989年に設置された学級は「たんぽぽ学級」と呼ばれていて、市立坂本小学校の児童12人も「同級生」です。
  中学生は、月曜から金曜まで午前と午後に、それぞれ2科目の授業があり、病室から「たんぽぽ学級」に通います。治療が最優先なので、お医者さんの判断やその日の体調によっては通えないことがあります。そのときは担当の鳩山葉子教諭が病室に出向いて「ベッドサイド」授業をするそうです。
  取材にお邪魔したのは午後1時限目の英語の時間でした。このときは3年生の女子生徒1人がやってきました。小学生は6人、国語の授業です。車いすに乗った児童もいます。女子生徒は、鳩山先生に手助けされながら、パソコンに向かって自習用ソフトに挑戦。英語は「あまり得意じゃない」そうですが、次々と問題をこなしていました。
  「たんぽぽ学級」には、小、中学校とも長崎市教委の貸与品のノートパソコンと 、小中共用のデスクトップパソコンがありますが、「いただいたパソコンは、画面が大きくて鮮明。ソフトもゲーム感覚で使えるので、生徒が興味をもってくれそうです」と、鳩山先生。
  長期入院中の子どもたちは、非常に限られた空間で生活しています。家庭や学校から離れて暮らしている子どもたちにとって、外の世界を実感でき、空間的な隔たりを超えることができる「インターネット」は、闘病と勉強の意欲向上に有効な手段だと言われています。鳩山先生は「インターネットに接続して小、中学生共用で使わせてもらいます」と、話していました。
(2007/10/11-2)

「白い船」の塩津小に贈り物 フェリーと子どもの交流描いた映画

島根県出雲市の塩津小学校
 日本海側の へき地の小学生と沖合いを通るフェリーとの交流実話を描いた映画「白い船」の舞台になった島根県出雲市の塩津小学校(稲田隆嗣校長、11人)に9月初旬、ベルマーク教育助成財団から教材展示装置など3点が贈られました。
  塩津小は日本海に面した断崖絶壁に建っています。1998年春、6年の男児が2階教室の窓から、定期的に午前10時半ごろ通る白い船を見て興味を持ったことが発端。高学年生が課外学習として調べ、白い船は九越フェリー「れいんぼうらぶ」と分かりました。九州・博多港から新潟・直江津港を経由、東日本フェリーに引き継がれ北海道・室蘭港を行き来します。10時半ごろ通るのは直江津港から博多港に向かう途中でした。その後、後継船「ニューれいんぼうらぶ」も就航しました。
  子どもたちは船長さんに手紙を書き、船長、船員さんから丁寧な返信が届き交流が始まりました。そんなある日、船長さんから 「みなさんの学校の近くを通ります」と連絡があり、フェリーが沖合いから近づいてくると教室から歓声があがり一生懸命、手を振りました。夏休みには子どもたちは直江津港から白い船に乗り、船上から学校を見ることができました。
  九州の児童文学作家が船内に展示された子どもたちの手紙に興味を持ち本に。2001年には児童、地元の人たちがエキストラで参加した島根ロケによる映画化。翌年公開されましたが、その夏休みには学校に見学者が5000人も訪れるほどでした。
  子どもたちのために地元の人から固定式の双眼鏡が贈られました。景勝地の展望台などにある大型のものです。さらにフェリー側から児童一人ひとりに携帯の小型双眼鏡も。
  映画化の後も交流は続けられ、子どもたちはこれまでに計3回、乗船を体験できましたが、定期フェリーは昨年末に休航しました。12月24日、船は向きを変え塩津沖5`ほどに近づき汽笛を「ぽー」と鳴らし子どもたちと別れを惜しみました。
「ながいあいだ、こうりゅう しましたね。みんなはもうあえないと思ってかなしんでいます。ぼくもかなしいです。今日は天気がよくてさいごのすがたがみれてよかったです。ぼくは大きな声で『おーい』となん回もさけびました。きこえるといいなと思いました」「(船が通らなくなると聞いて)なみだがでそうになりました」「またとおってほしいです」。子どもたちの寄せ書きです。
  休航から9か月、白い船との交流の名残が今もあちこちに。校庭にはロケ記念の石碑、2階の教室には固定式の双眼鏡、掲示板には交流の様子を示した資料。今も全国から見学者が訪れます。出雲市から来たという女性グループ十数人が「ああ、ここで船をみていたのねえ」などと双眼鏡をのぞきながら映画のシーンを思い浮かべていました。
  ベルマーク財団から贈られた3点は廊下に展示されています。教材展示装置は「モリアオガエルの卵の観察などに使いたい」、デジカメやプリンターは地域に写真店がないことから「助かります」と稲田校長らは喜んでいました。
(2007/10/11-1)