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財団から

岐阜・飛騨の学校にベルマーク寄贈

大垣の元教師上野さん、10年分で1万点超す

 かつて青春時代の3年を過ごした山あいの学校に、ベルマークを送り続けている女性がいます。同県大垣市の主婦上野美智子さん(75)です。これまで届けたベルマークは約10年分で1万点を超え、児童生徒数が極端に少ない学校を大きく支えています。
山之村の写真集などを見て、ふる里の飛騨をしのぶ上野美智子さん=岐阜県大垣市の自宅で ゆかりの学校は、北アルプスの懐に抱かれた同県飛騨市立山之村小中学校(小林時造校長、中学生7人、小学生8人)です。山之村地区は、一時は東洋一とうたわれた神岡鉱山で、また近年は東大宇宙線研究所の実験施設カミオカンデで知られる旧神岡町に属します。標高約910メートルの高原で、2009年に朝日新聞社などが選定した「にほんの里100選」に選ばれました。
 学校は1982(昭和57)年に森茂小中学校と下之本小中学校が統合して発足、上野さんは55年から3年間、森茂小中学校で先生をしていました。当時は、冬は2メートル以上の積雪に閉ざされる陸の孤島で、厳しい生活環境でした。しかし、美しい自然と住む人の純朴さは忘れられず、離任後も「心のふる里」として気にかけてきました。
 上野さんが居を定めた大垣市はベルマーク活動に熱心に取り組んでいる学校が多く、2人の息子さんが小学生のときは収集や仕分けを手伝い、卒業後は回覧などで依頼してくる地域の学校に協力していました。ところが7、8年前に知人から「山之村でもベルマーク活動に取り組んでいる」と聞き、それまで集めていた2、3年分のベルマークを贈りました。その後も定期的に知人を介して贈ってきましたが、2年前から愛知県犬山市に住む妹さんの協力も得て、個人的に送付しています。
 山之村小中学校では原則として毎年2月に保護者たちが整理作業を行っていると聞き、1月下旬に届けています。ただし今年は、点数の高い山田養蜂場のベルマークが9月末で無効になるからと、8月にも送りました。
 山之村小中学校がベルマーク運動に参加したのは84年です。これまでに計約35万点を送り、最近では04年にCDラジカセとテント(計約19万4千円)、今年3月には卒業式などで使う紅白幕(約2万5千円)を購入しました。学校では「子どもたちやPTAだけでは思うように集まらず、地域の協力もいただいています。卒業生や上野さんのような方々からの支援はとてもありがたく、感謝しています」と話しています。
 上野さん自身、山之村と同じ旧神岡町の出身です。「天空の町」とも称された神岡鉱山大津山坑の社宅で育ち、中学校まで大津山小中学校に通いました。多いときは標高900メートルの山の中腹に1400人が住み、病院や映画館もあったそうですが、75年に約100年にわたる歴史に幕を閉じ、今は住む人もいません。
 「ふる里がなくなることは、本当に寂しい」と上野さん。それだけに飛騨、そして神岡に向ける思いは人一倍で、今後も、続けられる限り山之村小中学校を支援していくつもりです。

《写真》山之村の写真集などを見て、ふる里の飛騨をしのぶ上野美智子さん=岐阜県大垣市の自宅で

(2010/10/06)

ベルマーク運動50周年アンケートにご協力を

ガイドなどと同送、12月24日締め切り

 「お買いものガイド No99」(今年度後期号)と一緒に50周年を迎えたベルマーク運動に関するアンケート(12月24日締め切り)を同封しました。ご協力をお願いします。
 他に、新しい送り状と整理袋請求用紙、それに注文書などの資料をベルマーク新聞秋季号と一緒にお届けします。資料が届いたら古いものは捨てて、新しいものをご活用ください。

(2010/10/05)

「運動に貢献」3団体に財団から感謝状

火曜会、ミズノスポーツ振興財団、住友信託銀行

 ベルマーク財団は50周年記念事業の一つとして、長年にわたってベルマーク運動を支え続けてきた2団体に感謝状を贈りました。財団への寄贈マークを整理し続けている愛知県岡崎市のボランティア団体「火曜会」(森昭子会長)と、40年にわたって「へき地学校のスポーツ振興に」と寄付を続けているミズノスポーツ振興財団(水野正人会長)です。また10月には、唯一の協力銀行としてPTA口座を管理している住友信託銀行にも贈ることにしています。

感謝状(盾)を囲んで記念の写真を撮りました=いずれも愛知県岡崎市の福祉会館で
 火曜会への感謝状は9月28日、活動拠点の岡崎市福祉会館で伝達されました。この日は火曜日で、いつも通りベルマークを整理・集計する会員を前に、ベルマーク教育助成財団の森田秀男常務理事兼事務局長が記念の感謝状(盾)を森会長に手渡しました。
 火曜会は1980(昭和55)年ごろに始まった個人的な活動が発展して、85年ごろ発足しました。市ボランティア連絡協議会への正式登録は87年です。現会員は28人。市社会福祉協議会や市内の養護施設などに寄せられるベルマークを整理・集計し、市内の児童養護施設「米山寮」「岡崎平和学園」、障がい者自立支援施設「四ツ葉の会」などに寄贈しています。
 ベルマーク財団からの依頼で、寄贈ベルマークの整理・集計を始めたのは2000(平成12)年からです。財団には全国からたくさんの寄贈マークが寄せられます。しかし大半は仕分けされていないため、財団では団体や個人などボランティアに頼っています。中でも火曜会には、現在寄贈マークの大半にあたる年間70万点~80万点を整理してもらっており、欠かせない存在になっています。ピーク時には100万点を超えた時もありました。
 活動は毎週1回、火曜日の午前10時~午後2時で、市内の分と財団の分を合わせて整理・集計しています。上治ミズノスポーツ振興財団専務理事(左)に感謝状を渡す森田ベルマーク財団常務理事=東京都千代田区のミズノで08年から市ボランティア連絡協議会が「ベルマーク収集メイト1万人運動」を展開、広くベルマークの寄付を呼びかけたこともあり、一時減っていたマークは再び増え、今年度は9月までに80万点を整理したそうです。
 感謝状を受け、森さんは「お話をして、食事をして、そして何がしか人のためになって……。みな楽しんで来ています」。また創立以来ただ1人残る鈴木珠子さんは「長く続いていますが、老化防止にも役立っていると思うので、これからも続けていきたいですね」と話していました。
 ミズノスポーツ振興財団には、9月30日に東京都千代田区神田小川町の同財団で、上治丈太郎・専務理事に、森田・ベルマーク財団常務理事から感謝状が渡されました。
 ミズノスポーツ振興財団は、1971(昭和46)年から「へき地学校のスポーツ振興に役立ててほしい」と毎年100万円~250万円をベルマーク運動に寄付してきました。今年も6月に100万円の寄付が贈られ、通算40回、寄付総額は8150万円になりました。財団では、他の援助資金と合わせてへき地学校のために使わせていただきました。上治専務理事は「自分も小さいころからベルマークにはなじみがあります。これからもベルマーク運動への寄付は続けて行きたい」と話していました。

《写真上から》
・感謝状(盾)を囲んで記念の写真を撮りました=愛知県岡崎市の福祉会館で
・上治ミズノスポーツ振興財団専務理事(左)に感謝状を渡す森田ベルマーク財団常務理事=東京都千代田区のミズノで

(2010/10/01)

新しい「お買いものガイド」ができました

 今年度後期の「お買いものガイド No99」(B5判、64ページ)ができあがりました。10月中に、参加学校・団体に1部ずつお届けします。ガイドには、協力会社16社の主な取扱商品や注文方法、注意する点な

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     あなたの愛が鳴り響きます。
            ベルマークから、ありがとう。

ベルマーク教育助成財団 tel:03-5148-7255