◆◆◆ 「夕張はいま」特集 ◆◆◆



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夕張再建、ベルマークも応援

 かつて日本の経済を支えた炭鉱の町、メロンの産地映画のロケ地などとして知られる北海道夕張市が、多額の累積赤字を抱えて財政破綻、3月に財政再建団体になってしまいました。多額の赤字は18年間かかって返済する計画ですが、市民生活はもちろん児童・生徒へも大きな影響を与えそうです。夕張の歴史を振り返りながら、今の姿を紹介します。

  <炭坑20カ所>
  夕張市の歴史は、1888年(明治21年)に石炭の露頭が発見されたことに始まりました。2年後に炭鉱が開発されてから次々と開鉱されてきました。
  以後、優良な石炭が採掘され、日本のエネルギーの重要な供給源となっていき、1943年(昭和18年)岩見沢市とともに北海道で9番目の市になりました。このころの人口は7万3953人でした。
  太平洋戦争をはさんでも人口の増加は続き、1960年(昭和35年)には、 11万6908人に上りました。しかし、これがピークでした。
  この前年に石炭鉱業合理化政策「新合理化長期計画」が策定されて、20の炭鉱があった同市からも一つ、また一つと炭鉱が姿を消していきました。
  最後まで残っていたのは、三菱南大夕張炭鉱で、1990年3月に閉山になり、夕張から石炭産業は完全に消滅しました。

  <観光へ転換>
  相次ぐ閉山で暗いイメージを払拭し、活性化させようと、企業誘致や観光開発が計画されました。
  特に観光開発は、目玉。石炭を採掘していた本物の炭鉱を中心に日本経済にいかに大きな貢献をしてきたかということを後世に残すために1980年に「石炭博物館」が建設され、2003年にはミニシアターやシネマショップなどある「郷愁の丘ミュージアム」が完成しました。
  このほかホテルなどの宿泊施設や映画のロケ地、「黄色いハンカチ想い出広
場」「北の零年希望の杜」などの整備も進められました。
  この結果、1976年度、35万人だった観光客は順調に伸び続け、1991年度には230万人にもなりました。しかし、長引く不況の影響もあり、2000年の201万人を最後に減少し続け、一昨年度は140万人台にまで減少してしまいました。

  <人口が激減>
  3月1日現在の人口は男6,016人、女6,754人でピーク時の10分の1程度になっています。
  「広報ゆうばり」の臨時号によると、わが国のエネルギー事情の大きな変化により、炭鉱の閉山が相次ぎそれに伴い、人口も減少するなど地域の経済社会構造は急速に変化していきました。市は、人口減少の中、石炭産業に代わる観光振興住宅や教育、福祉対策などに多額の財政支出をしてきたといいます。
  しかし、人口減による市税や地方交付税の減少、組織のスリム化の立ち遅れで人件費の抑制も不十分だったようです。また観光開発に伴う公債費などの負担や第三セクターの運営に対する赤字補填の増大などで財政負担は重くなったといいます。

  <新しい動き>
  累積赤字は353億円に上り、これを18年計画で返済することになっています。そのためには、4月から一般職員の給料を平均で30%、特別職も大幅削減したり、市職員の大幅削減なども予定されています。
  このほか不採算の観光事業の取りやめ、病院事業の見直し、小中学校の統合を含む公共施設の統廃合なども計画されており、市民生活や教育に大きな影響が出てくることは当然でしょう。
  暗いニュースばかりですが、前向きに取り組んでいこうという市民も少なくありません。
  その一人が、建設会社役員の沢田直矢さん(39)。これまで夕張市と実行委員会の共催で実施されてきたゆうばり国際ファンタスティック映画祭の灯を消さないようにと、2月にNPOゆうばりファンタを立ち上げ、協力を呼びかけ、計画を練っています。
  また、朝日新聞によると自己破産した夕張市の第三セクター、「石炭の歴史村観光」が運営していた酒製造・販売施設「めろん城」を引き継ごうと、新しい会社を設立した市民もいます。
  沢田さんたちだけでなく多くの人たちが衰退の中から立ち上がろうとしています。
  いまの夕張の状態は、厳冬期かもしれません。これから寒風が吹きすさび身がすくむような経験もするでしょうが、頑張っていれば、確実に春は来るでしょう。それを信じて、頑張ってほしいと思います。


小学校7→1、中学4→1へ統合計画

 炭鉱の町だった夕張。観光でなんとか生き残ろうとがんばったのですが、市が作った第3セクターの「石炭の歴史村観光」は昨年11月、大赤字を出して破産してしまいました。いまはすべての施設が閉鎖され、雪に埋もれたまま静まり返っています。夕張市は353億円の赤字を抱えて財政再建団体に陥り、住民は次々と町を去り、市職員も大量退職しました。小中学校も統廃合される予定で、遠方の子どもたちはバス通学となります。財政再建の重みが子どもたちにものしかかっているのです。ベルマーク運動に参加している全国のPTAが力を合わせて、夕張の子どもたちを励ますため、愛の鐘を鳴らそうではありませんか、という声がベルマーク教育助成財団事務局に続々と寄せられています。
  夕張市が発行している「広報ゆうばり」の3月臨時号によると、「4校ある中学校については1校に統合する。7校ある小学校については、本計画上1校に統合することとしているが、統合後の学校数については、児童数の減少の見通しや施設の老朽化に伴う教育環境の整備、市内の交通体系の見直しを踏まえ、平成19年中に検討する」と書いてあります。
  市がお金を出している多くの事業が廃止されますが、子どもの生活に関するものだけでも10事業が廃止されます。主なものとしては、障害幼児の機能回復、生活訓練諸経費を出す「地域療育推進体制整備」事業、在宅障害児等の養育に対する指導及び助言経費を出す「家庭児童相談室運営」事業、小中学生の芸術文化鑑賞経費を出す「全市小中学校鑑賞教室」事業などが廃止されます。
  このため、ベルマーク財団の森精一郎常務理事・事務局長と末吉正憲総務部長の2人が3月22日、夕張市を訪れ、小林信男教育長ら市教委幹部と会って、小中学校の統廃合の予定など子どもたちの教育環境がどう変わるのか事情を聞くとともに、07年度からベルマーク運動が「夕張の子どもたちを支援する事業」を展開すると伝えました。
  財団事務局では、07年度に子どもたちを励ますために100万円の予算を確保しており、その使い道は市教委と相談して決めることにしています。また、へき地学校向けのソフト援助である絵画教室、一輪車教室、理科実験教室、走り方教室を夕張の学校で開催する計画を立てています。こうした援助事業は08年度以降も継続して行う必要があるため、夕張の子どもたちを支援する友愛援助への資金拠出を運動に参加している全国のPTAに呼び掛けることにしています。


統合になるとバス通学に
小林教育長と一問一答

 夕張市の小林信男教育長とのインタビューは次の通りです。
――夕張市の財政再建計画で、子どもたちの学校はどうなるのでしょうか。
「夕張市には小学校が7校、中学校が4校ありますが、住民がどんどん減ってきているため、統廃合を進めていかざるを得ません」
――具体的には。
「いま決まっているのは、来年度末に幌南小学校と幌南中学校の2校を閉鎖し、夕張市の中間地点にある清水沢小、中学校に統合することだけです。しかし、それで済むわけではなく、秋ごろをめどに計画を立て、今年中には結論を出します。ただ、夕張市で1年間に生まれる子どもの数は約50人で、小中学校とも各1校で済む人数です」
――夕張市の集落は南北に細長く点在しています。子どもたちはどうやって学校に通うのですか。
「大型バスによるバス通学になります。清水沢地区がちょうど中間地点になるので、ここの小中学校に統合すればどの地区からでも最大でも30分のバス通学におさえることができます。小学校、中学校を各1校に統廃合すると、7台から8台の大型バスが必要になります」
――財政再建団体になったことで4月以降は市の職員が大量退職しますが、教育委員会にも影響が出るのですか。
「市長部局の職員269人のうち152人が3月末までに退職し、117人になります。部制は廃止されます。教育委員会も34人の職員のうち24人が退職します。このため、学校教育課はそのまま残るのですが、生涯学習課と体育振興課は統廃合し、社会教育課となります」
――子どもたちの心のケアが心配ですね。
「マスコミが関心を持ってくださり、大人にインタビューするのは構わないのですが、テレビのクルーが突然マイクを子どもたちに突きつけたりするケースがたくさんありました。子どもたちの心に対する配慮をお願いしたい。ベルマーク運動に参加しているPTAの皆さんから支援をいただけることは大変ありがたい。感謝しています」