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「だるま」作り半世紀 宮崎県日之影町の八戸中の生徒たち
伝統技法受け継がれ、作品販売
収益金はベルマーク預金と共に教育資金に

 つり上がったまゆに一点をにらんだ目、「へ」の字に結んだ口――怒った表情の中にもユーモアのある顔をした木製の「だるま」をベルマーク運動参加校の宮崎県日之影町の八戸中(別府俊郎校長、21人)の生徒たちが作り、2月24日の地区の八戸観音祭で販売しました。縁起物として地区民らに喜ばれています。
 生徒の「だるま」作りは半世紀にもなり、製作技術は先輩から後輩へ途切れることなく受け継がれています。収益金は生徒のスキー教室の費用などに当てられ、ベルマーク運動で得たベル預金と共に貴重な教育資金になっています。
 1948(昭和23)年、敗戦後の物のない時代に教材費作りのため造形教育の一環として、古紙や新聞紙を使った「だるま」作りが始まりました。学校では「七転び八起きの『だるま』のように忍耐力のある子に育ってほしい」との願いが込められていました。
 紙から木の「だるま」に替わったのは67年ごろ。原木の桐は地区民の提供で、1年間乾燥させます。作業は4月から。木をナイフで削り、紙ヤスリで磨き、塗料を塗り、顔を描いて仕上げるまでに18工程。特に全体に赤色を塗るのは、塗っては乾かす作業を100回も繰り返してツヤ出しをします。
 作った「だるま」は生徒1人が約3体。ほかに地区民が荒削りした60体を合わせて計120体。大は高さ30a、小は5a。今回は高さ40a、幅50aの特大を1体作りました。毎年、良くできた「だるま」1体を学校で保存します。
 仕上げの顔書きは細心の注意が必要。3年の山本宰君は「左右対称に描かねばならず一番神経を使う。『だるま』作りを始めてから、伝統を引き継ぐ大切さがわかりました」と目を輝かせていました。
 ベルマーク運動はPTA(田村英俊会長ら20人)が支えています。参加は66(昭和41)年8月。昨年は3学級に鉛筆削り器を購入しています。1年に1回、3学期に集計して発送しており、今年は2月15日夜に作業をしました。担当の黒木幸信教頭は「少ない生徒数とPTA会員だが、みんな熱心です。地道な活動が長続きの要因でしょう」と話していました。
 別府校長は「生徒は『だるま』作りを通して多くのものを学んでいると思う。ベルマーク運動は年間約1万点だが、PTAの活動は大きな力になっています」と感謝していました。
(2002/2/28)


郷土が誇る「花火」を調べる
児童が学習意欲や満足感を体験
秋田県・大曲小学校

 日本の夏の風物詩は、夜空を彩る「花火」。秋田県大曲市では夏の終わりに全国から花火師たちが集まって技を競う「全国花火競技大会」が催されます。町の中心部にある大曲小(武田覺校長、1012人)の児童たちは、郷土の一大イベント「花火」をテーマに、総合的な学習に取り組んでいます。
 県南部のこの地方はおいしいお米の「あきたこまち」の産地で、豊かな水田を育む雄物川が花火大会の舞台です。学校は明治6年に創立、ベルマーク活動も活発で、300万点を達成しています。
 3年前には、児童たちがデザインした花火を打ち上げました。校歌が合唱される中、夜空いっぱいに広がった花火は児童たちの心に美しい思い出を刻みました。それがきっかけとなって、「花火の町・大曲」をもっと知ろうと、「ファイヤータイム」と名付けた総合学習が始まりました。
 1年生のテーマは「みらいへあげよう!ゆめはなび」。家族と一緒に見た喜びやきれいな花火を見た感激をことばや絵で表しました。2年生は町にある花火のマークを探しました。橋の欄干やバス停、マンホール、ガードレールなどいろいろなところで見つけました。
3年生は色の出し方や爆発するまでの時間など、花火の作り方や花火師の苦労などを、4年生は「花火大会」が成功するために陰で支える人たちにスポットを当て、5年生は花火を作る人のこだわりや見る人に感動を与えて大きな拍手をもらった時の喜びなど、花火師の気持に迫りました。
 そして6年生のテーマは「おらの街の花火大会は世界一だべ!」。商工会議所や市役所、新聞社へ出かけたり、インターネットで調べて、市内のどこからでも花火が見える街づくりやゴミのない大会、花火の種類を増やしたり臨時列車を増発するなどして、より大勢の人に見に来てもらうにはどうしたらよいかを考えました。そして、一歩一歩夢の実現に向かって頑張ることが、世界一につながることだと結びました。
 この学習結果は一昨年、児童会の名で地元紙の広告1ページに「みんな大好き大曲」の見出しと共に掲載されて、児童たちは大喜び。その上、秋田広告協会の新聞の部・特別賞にも選ばれて、喜びはさらに大きくなりました。
 同校の正面玄関前の廊下は「夢 花火ロード」と名付けられています。昨年、児童たちが縦割り班でプラスチックタイルに描いた200枚の花火の絵が床を飾っていますが、その絵を見ると、児童たちの花火への思い入れが伝わってくるようです。
 「花火というテーマを通して、子どもたちは意欲的な取り組みや満足感を経験したと思います」と武田校長先生は話していました。
(2002/2/20-2)


ベルマークの理科実験教室
「科学が好きになりました」
隠岐のお友達が感想文

 平成13年度の「実験名人・ベルマーク教室」は全国19カ所の小中学校や保育所などで開かれ、約2500人もの児童・生徒や先生方、PTAのお父さん、お母さんたちが、珍しい理科の実験を見せてもらったり、実際に体験して大喜びでした。その一つ、島根県隠岐郡西郷町の西郷小(池田和広校長、356人)の児童と先生がベルマーク教育助成財団に感想文を送ってきてくれました。
 この教室は、さまざまな実験の楽しさを知ってもらうことによって子どもたちの「理科離れ」を防ぎ、理科の授業への関心を高めてもらおうと、科学技術振興事業団の協力でベルマーク財団が3年前から実施しているソフト援助の一つです。
 同事業団に登録されている実験の達人「サイエンスレンジャー」の先生たちを各地に派遣して理科の実験や工作の楽しさなどを伝えてもらっています。
 日本海に浮かぶ隠岐諸島にある西郷小の「実験教室」は昨年12月14日。5年生60人と先生たちが島根大学教育学部の曾我部国久教授の授業を受けました。
 曾我部先生は、花やボール、バナナ、マシュマロを液体窒素で瞬間的に凍らせたり、ろうそく作り、蛍光管を電子レンジに入れて光る様子を観察する実験、ヘリウムガスを吸わせて声が変わるのを確かめさせたり、とさまざまな試みを次々に披露、「なぜだろう」と子どもたちに考えさせながら実験を進めました。
 曾我部先生は、「子どもたちや先生の『理科離れ』が進んでいると云われますが、2時間近くの授業中、トイレに立つ子もなく、目を輝かせて聞いてくれました」といい、池田校長先生も「私たち教師にも、本当にためになりました。機会がありましたら、また、開いていただきたいですね」と話していました。
                        ◇
 西郷小から届いた感想の一部を紹介します。
八原 涼君 実験でいろいろなことがわかりました。科学が好きになりました。遠いところ、ありがとうございました。

亀井 星良さん ろうそくもきれいに作れました。ちょっとだけ理科が好きになったかな。

藤野 友里恵さん いい経験をしたなあ、と思いました。また、サイエンスレンジャーの人に来てもらいたいです。

鈴木 翔人君 生まれて初めて、あんな不思議な体験をしました。また、ぜひ見たいです。

福本 みなみさん ヘリウムガスをすった中村先生は女の子みたいな声になりました。理科の実験は、けっこうおもしろいなあと思いました。

牧野 正宏君 素晴らしい、すごいの一言です。ぼくもエジソンみたいな人になりたい。「夢」を与えてくれてありがとうございました。

岡野 友美さん 科学って、ふしぎがいっぱい。ちょっときょうみをもってしまいました。
吉本 純平君 科学のことは、あまり知りませんでした。体験をして、少しはわかりました。すごく楽しかった。またやってみたいです。


松尾 恵さん 理科は好きではありません。科学の勉強が2時間もあると聞いてがっくりしました。だけど、始まったらきょうみがわき、理科や科学が好きになりました。本当に楽しかった。

磯辺 直哉君 科学が大好きになりました。また来てほしいです。

松本 慶太君 今日は本当に楽しい一日でした。

牧野 愛さん 実験が始まってから、私はドキドキしていました。また、来てほしいです。お願いします。

中村 孝志先生 理科に対する子どもたちの探究心を深めていただきました。ふだんの授業でこんな実験が出来れば、もっと理科の好きな子どもたちを増やすことが出来るだろうな、と思いました。みんなの目がキラキラ輝いていました。
(2002/2/20-1)


横浜テレビ局が財団を訪ねて取材
活動校や災害被災校も取材 目玉番組「はまっこアイ」で
ベルマーク運動を市民に紹介

 神奈川県の横浜テレビ局コンテンツ部の中石雅子さんと撮影スタッフが、同局の目玉番組「はまっこアイ」にベルマーク活動を取り上げるため、1月31日にベルマーク教育助成財団を訪ね、取材をしました。

 横浜テレビ局は平成2年に都市型CATV局として開局。毎日、コミュニケーションチャンネルとして地域に密着した番組やニュース、暮らし情報をきめ細かく視聴者に届けています。おもなサービスエリアは市内の中区、南区、磯子区10万世帯ですが、他局と提携している「はまっこアイ」は港南区、戸塚区、鶴見区や川崎市などにも流れています。

 「先日、ベルマーク財団のホームページを開いて見ていましたら、『ランキング』の中に、自局エリア内にある梅林小学校の名前が目に飛び込んできました。さっそく学校に電話を入れますと、同校はベルマーク運動が大変盛んな学校であることが分かりました。先日、取材に行ってきました。先生たちからベルマークで購入した鼓笛隊の衣装を見せていただいてきました。『すてきな衣装でした。こういうものも買えるんだ』と、改めてベルマーク運動のすばらしさに感激しました。この運動は自分たちの学校の設備品ばかりでなく、恵まれない教育環境にある子どもたちのためにも役立っている事を知り、財団をお訪ねしました」と中石さんは話します。

 財団事務局で、中石さんが吉川俊夫常務理事から、運動の意義や実際の活動、へき地援助やアフガン援助などについて話を聞きました。その後、撮影スタッフはベルマークの検収(点検)作業風景やどんな商品にマークが付いているのか、協賛会社の商品をていねいに手にとって、マークを見つけズームアップして撮影して行きました。

 30分番組の「はまっこアイ」(9チャンネル)は、この取材をもとに編成し「特集・ベルマーク活動」として、2月4日から10日までの毎日3回放映しました。

 特集のおもな内容は、@ベルマークを知っていますか(ベルマークのついている商品の紹介)A運動の仕組みB学校内のベルマークで購入した備品の紹介(梅林小学校、磯子小学校など)C地元小学校のベルマーク活動への取り組みD三宅島噴火により被災して都内に避難している中学校の現況Eベルマーク集票全国一位は神奈川県などを取り上げていました。最後にベルマークへの参加も呼びかけました。
(2002/2/13-2)


サケ稚魚の巣立ちを見届けてボクたちも卒業します
水戸市城東小

 春は巣立ちの季節です。昨年、ベルマーク集票300万点を達成した水戸市立城東小(門井洲雄校長、558人)では、6年生の児童たちが、珍しいお友達と一緒に卒業します。そのお友達とは、児童や先生たちが一生懸命に育てたサケの稚魚たちです。児童たちは、3月中旬に学校のすぐ裏を流れる那珂川に稚魚を放流して巣立ちを見送り、19日の卒業式を迎えます。
 サケ稚魚の放流は、北海道や東北地方の各県で盛んに行われており、太平洋側では、茨城県が事実上の南限といわれています。同県の放流河川の一つの那珂川に近い城東小では、7年前から理科の授業の一環としてサケの放流に取り組んできました。
 一言で放流といっても、卵のふ化から生育の飼育・観察を経て送り出す、という一冬かけての「大仕事」です。
 今シーズンの幕開けは昨年11月29日。理科担当の深見晋先生(42)らがお隣りのひたちなか市の「那珂川第一漁協」から8千個の受精卵を分けてもらい、一家広史(いっけ・ひろし)教頭先生の運転する車で、そろそろと学校に運んできました。
 受精卵は、そのまま、理科博物室や各学級の前の廊下に置かれた水槽の中へ。18ある全クラスで児童たちによる「子育て」が始まりました。
 20日ほどして卵の中に「眼」が出来、年が明けて1月20日頃には、一斉にふ化しました。児童たちは当番で観察記録をつけて見守り、新しい命の誕生を、身をもって確かめました。
 この命を支えたのは、冷たいきれいな水と酸素です。先生たちは「水温が高くなったりしないか」「エアポンプが故障して酸素がとまったら」と心配でした。深見先生たちは、冬休み中、何度も学校に来てサケの赤ちゃんの無事を確認しました。
 稚魚は、しばらくの間、「さいのう」というオレンジ色の袋をおなかにつけていて、この袋の中の栄養分を吸収して成長します。
 水槽の底に群がってじっとしていた稚魚たちは活発に泳ぎ回るようになり、えさも食べて次第に大きくなりました。
 福祉委員会でベルマーク活動も担当してきた6年生の梅本拓也君、八幡龍之介君、樋口里奈さんらは、「立派にそだつかどうか心配でしたが、みんな元気でよかった」「一緒に卒業するなんて、素敵です」と話していました。
 放流されたサケの稚魚は、川を下って海に入り、北の海を目指して長い長い旅に出ます。帰ってくるのは、たぶん4年後。卒業生が高校生になっているころでしょう。
(2002/2/13-1)
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